参政・吉田東洋暗殺地



[ 高知市追手筋2丁目 ]

以前、龍馬や武市瑞山のところも触れたけんど、富国強兵論などを主張し藩政改革を行うたけんど、保守派の反対におうて一時職を離れたけんど、復職後、門閥政治打破・流通機構の統制強化・洋式兵器の採用などの改革を行なうたがです。

しかし、武市瑞山の率いる土佐勤皇党の尊皇攘夷思想の考えを相容れず、結局事を急ぎ、武市瑞山は刺客を放つことにいたるがです。

文久2年(1862)4月8日夜更け、藩主への講義を終えて追手門を出、後藤象二郎らと別れて帯屋町の自宅への帰りよった時、尊皇攘夷派の土佐勤王党志士「那須信吾」・「大石団蔵」・「安岡嘉助」に暗殺されたがです。
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