秦神社 - 長宗我部元親

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[ 高知市長浜  ]

この「秦神社」は、元は隣にある四国霊場第33番札所「雪蹊寺」が「長宗我部元親」の菩提寺じゃったがですが、明治の廃仏毀釈で廃寺になった際、新たに「長宗我部元親」を祭神として建立されたがです。

その際、雪蹊寺にあった「長宗我部元親」の木像を御神体とし、同じく雪蹊寺から譲り受けた「絹本著色長宗我部元親画像」や「戸次川合戦戦死者の大位牌」を社宝としちょります。

社殿の裏山は朝倉城址の所でも触れた「本山氏」の出城で、「長宗我部元親」22歳の初陣で、この長浜城を陥落させ初陣を勝利で飾るがでして、その時の長浜「戸の本の合戦」古戦場跡は、此処より西に5~10分程の場所にありますき。


「土佐物語」に、長宗我部氏の先祖は「秦」の始皇帝四世の孫功満王、真徳王親子が相次ぎ日本に渡ってきて、仁徳天皇から「波多」という姓を賜ったというように書かれているそうながです。

その何代か後の「秦能俊」と言う人が、長岡郡宗我部村岡豊山に城を築き、姓を「宗我部」と改めたそうじゃけんど、香美郡にも同姓の「宗我部」氏おったそうで、長岡郡の方を長宗我部、香美郡の方を香宗我部としたと言うことです。

この「秦神社」は、先祖の「秦」=「波多」から付けられちゅうようながです。

「長宗我部氏略系図」参照




[ アクセス ]
・南はりまや橋(10番乗り場)から、高知県交通バス長浜・春野役場方面「春野役場行」で約20分
 「雪蹊寺」バス停下車
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