朝倉城址 - 朝倉

090203-2.jpg

090203-3.jpg

090203-1.jpg

[ 高知市朝倉丙  ]

県指定史跡「朝倉城跡」で、古くは重松城ともいう。

長岡郡本山城主の本山梅慶は、天文年間土佐中央部に一大勢力を確立し、これを維持するため、軍事的、地理的に重要なこの地に築城して天文9年(1540)ここに移った。

永禄3年(1560)にはじまった「長宗我部氏」との激突は数度に及んだが、勝敗は決せず、梅慶の後を継いだ子の茂辰は、不利な形勢と朝倉城死守の困難をさとり永禄6年(1563)1月城を焼いて本城本山に退去し、廃城となった。

詰・西郭を囲むように大きな空堀が二重三重にはしり、竪堀も深く残っている。

県内随一の規模を誇る中世城跡である。

平成元年3月高知市教育委員会



「平成元年3月高知市教育委員会」の説明文にあるように、1540年の戦国時代中期に、土佐・嶺北地方を中心に勢力を伸ばした「本山梅慶」がここに城を築いて土佐の制覇を目指すけんど、岡豊を根城にした「長宗我部元親」の父・「国親」との間で激戦が続くがです。

「本山梅慶」や「長宗我部国親」が亡くなった後も、跡目を継いだ「本山茂辰」と「長宗我部元親」の間でも激しい戦いが繰り広げられ、戦況は「長宗我部」有利になって行くがです。

「本山茂辰」は、苦戦を虐げられ朝倉城死守が不可能と判断し、城を焼き払い本拠地本山に引き上げたがです。

その後、土佐の国は「長宗我元親」よって、制覇されるがです。

この山全体が城郭跡です。

2枚目の写真の上り口の標識に「マムシ注意!」の看板も取り付けられちょりました。

別にこの場所だから危ない訳じゃないぜよ。

マムシの生息地は九州から北海道まで、山地森林、その周辺の田畑に生息しちょりますき、好んで人間に噛みつくわけではないので、捕まえるような事をしなければ、まずは心配はないがです。

マムシの餌になるカエルやネズミなどの小動物が多く、それだけ自然が豊かなバロメーターですき。

ただ、山や草むらを歩く時は注意しましょうと言う、安全を考慮した標識じゃねー・・・・・(^^ゞ


[ アクセス ]
・JR朝倉駅から徒歩20~30分
・高知駅から高知県交通バス「高岡・市野々方面高岡営業所行」または「宇佐方面宇佐行」で約30分、「北城山」バス停下車徒歩15~20分
関連記事

  



0 Comments

Leave a comment