「乙女の像」との関係 - 大町桂月誕生地

090103.jpg

[ 高知市永国寺町 ]

1869年(明治2年)に、旧土佐藩士の息子として生まれの、詩人・歌人・随筆家で評論家として有名で、名前の「桂月」は、月の名所桂浜に因み付けた名前のようで、終生、酒と旅を愛し、「酒仙」とも「山水開眼」の士とも称されたようです。

彼は地方を旅し、今日の旅行ガイドブックの様な紀行文を書き、無名の地を世に知らしめた。

北海道各地を旅行してその魅力を紀行文で紹介し、現在の「層雲峡」の地名を付けており、その関係か如何かは判らんけんど、大雪山系の黒岳の近くには、彼の名前の付いた「桂月岳」という山もある。

一番有名にしたのは、「蔦」・「奥入瀬」・「十和田湖」の現在の「十和田湖観光」でしょうか。

桂月が初めて十和田湖を見て、「雄大さ」・「自然の美しさ」に感動し、雑誌『太陽』に紀行文を発表して、当時まだ世に知られていなかった十和田の魅力を紹介したがです。

「山は富士 湖水は十和田 ひろい世界にひとつずつ」・「住まば日本 遊ばば十和田 歩きゃ奥入瀬三里半」の歌や、「十和田湖は天下無双なり」などと紹介し、全国に知られるようになったようです。

なかでも「蔦の森」をこよなく愛し、何度も蔦温泉に足を運び、魅力に取り付かれた彼は、大正14年4月には、蔦温泉に本籍を移した程ながです。

十和田湖畔に建つ高村光太郎の最後の作「乙女の像」って知っちょりますよねー。

あの像は、「大町桂月」が「武田千代三郎」青森県知事・「小笠原耕一」村長と共に、十和田開発の三功労者の一人に数えられ、彼らの功績を讃えるために、昭和28年10月の国立公園指定15周年を記念して建てられた顕彰碑ながです。

青森から十和田湖方面行きのバスに乗ると、彼の業績を語るバス案内もある程ながです。

今、「桂月」は、「蔦」の地に眠っちょります。


[ アクセス ]
・高知城から、徒歩約10分
関連記事

  



0 Comments

Leave a comment