致道館門

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[ 高知市丸の内1丁目 ]

文久2年(1862年)に参政「吉田東洋」が第16代藩主・山内豊範の命で、それまでの藩校じゃった「教授館」に代わって、新たに造ったのが当初「文武館」と言うがです。

藩政の強化を図るため、藩士の教育の場として造られたがですが、東洋自身は「文武館」が完成した3日後に、土佐勤皇党のメンバーの手によって暗殺されちゅう。

慶応元年(1865年)には「致道館」と改称され、明治4年(1871年)に廃止されるがです。

その後は、1976年までの間「高知刑務所」の正門となって来たがですが、移転後、此処には「高知県立武道館」が建ち、その「正門」として残っちょります。

現在「致道館」跡は、城西公園も併設されちょります。


[ アクセス ]
・高知城から徒歩約5分
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