山北両烈士の碑 - 安岡覚之助、嘉助兄弟

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[ 香南市香我美町山北 ]

「安岡覚之助」は、天保6年6月13日、香美郡山北村(香我美町山北)に郷士「安岡文助正理」の長男として生まれちょります。

土佐勤王党では幹部として活躍し、同党幹部「大石弥太郎」から”東郡の覚之助、西郡の樋口真吉”と評価された人ながです。

土佐勤王党の弾圧が始まると、投獄されてしまい終身禁固の処分を受けたがですが、佐々木高行らの藩庁への嘆願により、同志「島村寿之助」と共に釈放され、戊辰の騒乱には土佐藩兵として従軍し、東征軍小軍監として各地に転戦したがですが、慶応4年8月25日の会津若松での戦闘の際、流弾にあたり戦死しちょります。


弟の「安岡嘉助」は、「吉田東洋暗殺事件」の実行犯の一人です。

彼も土佐勤王党の一員のハズですが、党が関与した事を偽装したためか、「土佐勤王党加盟者名簿」には名前は残っちゃーせんがです。

「吉田東洋」の暗殺をはたした嘉助は、「那須信吾」や「大石団蔵」と共に雨の中、そのまま脱藩して長州へ入り、三田尻や下関に滞在したのち京にのぼり「久坂玄瑞」や薩摩藩の庇護を受けちょります。

その後「吉村虎太郎」、「那須信吾」らと共に天誅組に加わり、大和五條代官所を襲撃して「五條御政府」の樹立を宣言したがですが、京で政変が起こり過激勤皇派や急進派公卿が京を追放される事態となるがです。

そのため、天誅組には朝廷から追討令が出、幕府軍との「鷲家口の戦い」で敗れ、津藩の藩兵に捕縛され京都の六角獄に投獄され、元治元年2月に同士19名とともに処刑されたがです。

案内板には記念碑の題字は、元土佐勤王党員の宮内大臣「田中光顕」によるものと記載されちょります。



芥川賞作家「安岡章太郎」さんは両名の「子孫」にあたり、1981年に日本文学大賞を受賞した著書「流離譚」は、先祖の「安岡覚之助」、「嘉助」、「道之助」3兄弟の生き様を詳細に物語る小説です。

高知には子供の頃に住まわれたそうですが、お父さんの実家は土佐藩独特の身分である郷士の住宅を代表する造りとなっちょって、平成17年7月に「安岡家住宅」として国の重要文化財に指定されちょります。

因みに彼は、「寺田寅彦(物理学者、随筆家、俳人)」の姉「駒」の義弟の孫で、「別役実(劇作家、童話作家)」とは「駒」の曾孫にあたる遠戚ながです。


[ アクセス ]
・土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線「のいち駅」下車、タクシー利用
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