土佐藩上士にあって勤皇思想 - 小南五郎衛門生誕地

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[ 高知市/寿町 ]

幕末の土佐藩士で、幕末に藩の要職である大目付や側用役を務め、12代藩主「山内豊資」や「豊煕」、「容堂」、「豊範」に仕えた人物ながです。

水戸藩士「藤田東湖」より「古大臣の風あり」と言われた程の謹直な性格だったようです。

文久元(1861)年に「武市半平太」らが「土佐勤王党」を結成すると、上士の身分でありながら「勤皇思想」に同調し、国事奔走に協力した事でしられちゅうがです。

当時の土佐藩上士は、「朝廷より征夷大将軍の宣下を受けて大政を預かっている幕府あってこその尊王攘夷である」という考えを持った「佐幕派」が多く、「勤皇思想」を持つ事こそ異端児的存在だったがです。

後に、「吉田東洋暗殺」事件が発端で、「土佐勤王党」への弾圧が始まると、協力的だったため任を解かれ失脚したがです。

戊辰戦争の際には従軍し、維新後は土佐に戻り余生を過ごしたとの事です。

そういう意味では、「維新の志士」の一人じゃと思うがです。
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