自由は土佐の山間より出づ - 植木枝盛生誕地

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[ 高知市/中須賀町 ]

明治期の自由民権理論家,運動家。

土佐藩士直枝の子で、廃藩に至るまで藩校致道館に学び、明治6(1873)年、旧藩主山内氏が東京に開設した海南私塾に学んだが、同校の方針が不満で半年で退学し高知に帰るがです。

この時期、征韓論政変で下野した板垣退助や林有造、片岡健吉らが帰郷して高知に立志社を設立し「自由民権運動」を開始すると、翌年再度上京し板垣邸に書生として寄宿し、独学で民権思想を吸収し東京の諸新聞に政論を投書するなど言論活動を始める。

投書記事で2か月間投獄された後、高知に戻った彼は「自由民権運動」への志を開花させ、国会開設を要求した「立志社建白書」を起草するがです。

以後自由民権理論の普及と運動の発展に生涯を賭け、独学で自らの自由民権理論を確立、ジャーナリストとして立志社最初の機関誌である「海南新誌」をはじめ「土陽新聞」・「高知新聞」等を編集・発行・主筆として論陣を張り、自由民権思想の普及に大きな役割を果たし、板垣退助らとともに国会開設運動・自由党結成に尽力した人物です。

明治14年には私擬憲法中もっとも民主主義に徹底した「日本国国憲按」(東洋大日本国国憲按)を起草する。

同按は、8編、附則あわせ220条に及び、明治前期の私擬憲法で現存するもののなかではもっとも進歩的・民主主義的なものであり、その特色は、30数条にわたる詳細にして徹底した人権保障規定で「抵抗権」・「革命権」も認めちゅう。

そのほか連邦制や地方(州)自治・土地国有などの規定をも含めたもので、昭和21年公布された「日本国憲法」にも大きな影響を与えたといわれちゅうがです。

彼の代表的な言葉として有名なのは、「海南新誌」の創刊号巻頭で記述された「自由は土佐の山間より出づ」という言葉で、土佐の自由民権運動を表す最も代表的な言葉となっちゅうがです。
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