西郷木戸板垣三傑会合の地 - 東九反田公園

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[ 西郷木戸板垣三傑会合の地とプレート ]

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[ 「憲政之祖国」碑とプレート ]

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[ プレート ]

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[ 昭和17年2月に建てられた碑 ]


[ 高知市/九反田・東九反田公園 ]

山内容堂によって登用された吉田東洋は強力な藩政改革に乗り出し、紙・椎茸・樟脳などの国産品の統制強化を行い、商品生産を奨励して移出税による収入増加を図り、開国に向けて長崎貿易を考えたがです。

その吉田東洋が土佐勤王党の志士によって暗殺された後も、後藤象二郎が東洋の政策を継承し「開成館」を建設し、西洋知識を導入や殖産興業政策を展開し積極的に貿易を行って富国強兵を図ろうとしたがじゃき。

また長崎や大阪などへの物産の販売などを積極的に行い、海外貿易のために開成館の出張所がつくられたのが「土佐商会」ながぜよ。

その時活躍したがが「岩崎弥太郎」で、開成館解散後の事業を引き継ぎ、今日の三菱へと繋がっていくがです。

こうした政策が成功し莫大な利益を生んだ事が、土佐藩が政治的にも有利になり「大政奉還」と言う偉業を成しえた原動力にもなった大事な場所ながです。

開成館が廃止された後、ここは迎賓館「九反田寅賓館」となり、明治4年に薩摩の「西郷隆盛」は薩長土三藩の協力で朝廷の軍隊を創ることを提案し、「西郷隆盛」、「大久保利通」、「木戸孝允」がこの”九反田寅賓館”に集まり、「板垣退助」や「福岡孝弟」らと会談し、御親兵献上の内談を決定し、明治4年7月14日に発布された廃藩置県令につながっていくがです。

明治維新の日本の近代化の流れの中で、薩摩の「西郷隆盛」、「大久保利通」、長州の「木戸孝允」、土佐の「板垣退助」らの果たした歴史的な偉業を物語る舞台ながです。

その後、明治7年に「板垣退助」によって設立された「立志社」の施設となり、「立志学舎」の校舎にもなり、後年には「板垣退助」の邸が移築されたこともあり、中央に「憲政之祖国」という大きな記念碑も建立されちゅう、数々の歴史の1ページを開いて行った場所ながです。

一番下の写真には、昭和17年2月に建てられた碑があり、こう書かれちゅう。

「維新の元勲板垣退助先生征韓論に敗れ冠を掛けて郷に退き同志と共に立志社を創す
世人土佐を憲政の祖国と做す
此の地後藤象二郎先生が開国の主唱者吉田東洋先生の遺策を紹き開成館を建設セル所
明治四年板垣先生が西郷大久保木戸の三傑と廃藩置県御親告献上等新政府強化の長策を凝議せし記念の殿堂なり・・・・・・・・・・・」

ただこの地には昭和17年に板垣退助の業績を顕彰しようと建てられた「憲政館」が老朽化し、昭和41年に高知市が新築した「憲政記念館」があったがですが、2005年「利用がないのに維持費ばかりがかさむ」という理由で「憲政記念館」は教育委員会に破壊されてしもうたがです。

変わりに、教育委員会は記念の「プレート」だけを新調したがです。

高知市の史蹟に記念碑とプレートが多いのはこうした理由が殆どのようです。

観光客も地元の人間も見向きもせず、何も知らん子供達だけ無邪気に石碑の周りでハシャギ廻ちょうだけの公園と化しちゅう。

実体の無い、偽物の記念碑ばかりじゃ飽きられるぜよ。


この話には後日談があるがです。


2007年12月1日付けの高知新聞に次のような記事があった。

「経産省認定「産業遺産」で高知市が辞退/九反田の開成館跡」

経済産業省は30日、日本の近代化をけん引した歴史的な工場跡や湾港、鉱山など575件を「近代化産業遺産」に認定した。

本県からは安芸郡奈半利町の藤村製糸工場が選ばれたが、当初候補に挙がっていた高知市の「開成館跡」は認定されなかった。

同市教委が「跡地には碑以外、何も残ってない」と辞退したためだが、地元住民らからは「まちづくりのきっかけになったかもしれないのに」と、残念がる声も上がっている・・・・・・・・。


高知の公僕は「古いものは壊し、新しい物を造る」がが、行政じゃと思うちょる節がある。

新堀川には蓋をして道路を作ったり、十○億もの資金を投入し造ったバスターミナルは何時通っても、車の姿は見受けられず、誘導員の姿のみ目に付くだけで閑古鳥が鳴きゆうような有様じゃ。

無駄な金を食っているのは、どっちじゃろうと思うがです。

オンチャンに言わせたら「高知市教育委員会」も悪いけんど、「行政」も「議員」もお粗末な集まりじゃ。

文化意識も無し、行政感覚も空っぽ・・・・・。

もっと歴史的な遺産を積極的に保護し、観光事業にも生かした街造りをするのが、公僕の役割じゃないがですかねー。

と言いながらも、オンチャンは「観光客」に来て見て欲しいし、また地元民の意識が変わればと思うてせっせと「南国土佐に来てみいや」を書いちょるがです。

もし残っていたら2010年のNHKの歴史大河ドラマ「龍馬伝」には、恰好な観光地の一つになりえたのに、ただただ残念ながです。
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