丸山台

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[ 丸山台  高知市/弘化台 ]

丸山台は、鏡川の河口付近に浮かぶ中州で、藩政時代には面積が2反じゃったと言うきに、約2000m2程のばかりの大きさじゃったがです。

明治16年春に、対岸の稲荷新地( 現・高知市若松町)にあった料亭「此君亭」がこの「丸山台」を買取って「丸山台温泉場」を開き、料亭が建ち大いに賑わったそうながです。

板垣退助が、明治15年4月に岐阜で暴漢に刺され(この時、「板垣死すとも自由は死せず」と名言を残す)、傷が癒え帰郷際にはこの地に、県内の民権活動家ら約1000人が集い、無事を祝い大祝宴を開催したと言われちょります。

また明治15年11月には、伊藤博文が憲法調査の目的でヨーロッパに行ったのに対抗して、板垣退助と後藤象二郎は民間人としてヨーロッパに渡り、翌年の明治16年8月29日に外遊を終えて帰郷した際にも、最初に上陸したのがこの「丸山台」だったがです。

丸山台周辺には約300艘の小船が出迎え、約5,000名の党員が集まった歓迎式典に臨んだようです。
その時の「訪欧帰朝歓迎記念碑」も丸山台には建つちゅうとのことです。

「そんなに大きゅうないぞー?」とお思いの方もおるがですろう・・・。

実は、昭和21年の「南海地震」で島の一部は海中に沈み、現在のような小島になっちゅうがです。
その後数十年・・・人が行かないので今では「野鳥の天国」になっちうがです。

と言うのも、大潮のような干潮時には中ノ島の突端から何とか歩いて渡れるようですが、橋も無いし島に渡る手段がないがです。

以前「橋」を架ける案があったようですけんど、野鳥愛好家からは「野鳥保護のために反対!」、また一部市民からは「景観が壊れる!」との意見が出たようで、その後の経緯は判らんけんど、未だに渡島手段がないのが現状ながです。

現実には、税金を投入して立派な公園が造営され、「丸山台公園」として都市公園にも指定されちゅう。

けんど、この公園は人間用じゃのうて「鳥類様専用」の公園になっちゆう、何とも矛盾した話ながです。

両論ともごもっともですけんど、「史蹟」としても立派な観光資源。

板垣退助のように、船で渡れるようにし「観光」に有効利用し、生かすような方向性を検討するべきじゃないがですろうか。

とにかく、この史蹟「丸山台」は、北の某独裁国家と同様「行きたくても行けない、近くて遠い」場所ながです。

船で行けるようになったら、是非行きたい場所ながです。

こじゃんと眺めがエエ所じゃと思うがですよ。
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