フランク・チャムピオンの碑 - 鏡川河畔

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[ フランク・チャムピオンの碑  高知市/鷹匠町2丁目 ]

大正6年10月30日、世界的な飛行家で、当時注目され始めた飛行機の有用性を示す為にアメリカから派遣されてきた「フランク・チャムピオン」は、高知市民10万人に拍手喝采で迎えられ、小さな愛機から降り立ち大きく両手を挙げて歓呼にこたえたそうながです。

観衆は、飛行機は見ること自体始めての上に、空中曲芸のはなれ業に惜しみない賞賛の拍手を贈ったがやき。

この異郷での歓迎振りに感激したチャムピオンは、もう一回空中ショーを演じようと再び愛機に乗り込み、筆山の空に高く舞い上がって行ったそうながです。

複葉機は軽々と上昇を続け筆山の上空を旋回し、宙返りをさいさいか繰り返し、エンジンを止めて地上寸前で再び急上昇を始め空に舞い上がろうとした瞬間、信じられん事がおこったがやき。

突然片方の翼が折れ、機体はそのまま墜落し、異国の地にて帰らぬ人となったがです。

皮肉にも日本各地で「飛行ショー」を行い、そのしまいが「高知」じゃったそうながやか。

この記念碑は事故のあった翌年、墜落地の柳原一帯を見下ろす土手の上に遺骨の一部と共に建てられたがです。


この記念碑を建立もんは、「飛行ショー」を開催した本名「森田良吉」、別名「鬼頭良之助」さんながです。

こいと(この人)は、「侠客」であり「興行師」でもあったそうながやき。


故「夏目雅子」さんが演じた”松恵”の有名な台詞を覚えちゅうがかよ。

「あては高知九反田の侠客”鬼龍院政五郎”の”鬼政”の娘じゃき。」
「なめたら、なめたらいかんぜよ」。

そうです「宮尾登美子」さん原作の、映画「鬼竜院花子の生涯」に登場する俠客「鬼竜院政五郎」のモデルになった人だと、地元じゃー思われちゅう人ながです。

記念碑の裏面にゃ「鬼頭良之助事、森田良吉」と刻まれちょっちゅう。


[ アクセス ]
・土佐電鉄「グランド通り」電停下車、徒歩約5分
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