河田小龍生誕地・墨雲洞跡の碑

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[ 河田小龍生誕地  高知市/はりまや町1丁目 ]

文政7年高知城下に生まれ、13歳の頃から画を学び始め、16歳で藩の儒者「岡本寧甫」に儒学を学ぶなど、儒学や書にも親しんで、画家としてだけでなく知識人としても認められ、この地に画学塾「墨雲洞」お開設しちゅう。

嘉永5年(1852)7月、藩命によりアメリカから帰国したジョン万次郎(中浜万次郎)の取調べを行い「漂巽記略」としてまとめ、藩主容堂に献上したがです。

藩命で図取り役として薩摩の反射炉視察に行くが、帰国の日「安政の大地震」で家屋を焼かれ、築屋敷に移る。

この時「坂本龍馬」が来訪、中浜万次郎から聞いた西洋事情と時勢について語り合うたようで、エピソードなどを「藤陰略話」と題した著書に残しちゅうがです。

画塾墨雲洞塾の門下生にはの「武市半平太」・「土方楠左ヱ門」・「田中光顕」・「長岡謙吉」・「近藤長次郎」・「岡崎参三郎」等が弟子入りしちります。

龍馬と「河田小龍」との出会いは土佐において欠かせないものであり、またその後の龍馬の行動にも大きな影響を与えた人物ながです。

実際の生家跡は、この碑の南。
[ アクセス ]
・はりまや橋交差点から、徒歩2~3分「はりまや橋観光バスターミナル」側
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