第3代日銀総裁 - 川田小一郎男爵

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[ 男爵川田小一郎先生誕生地の碑  高知市/元町 ]

1836年10月4日 、土佐国土佐郡旭村(現:高知県高知市)にて土佐藩の郷士・川田家に生れ、藩の会計方に登用され、明治維新に際しては、難題であった伊予松山藩所有の別子銅山接収を平和裡に収拾しちゅうがです。

1870年、土佐藩の海運業社・九十九商会(のちの三菱財閥)の民営化に伴い、高級幹部として、石川七財と共に社主「岩崎弥太郎」を補佐し、高島炭坑など鉱山開発、共同運輸との海運業の覇権を巡る抗争など、常に先頭に立って「三菱財閥」を率いたがです。

1885年の「岩崎弥太郎」死後、「三菱財閥」の今日に至る繁栄の礎を築き、「岩崎久弥」が副社長に就任するや、経営の第一線から退き、1889年(明治22年)9月3日、松方正義の推薦で「第3代日本銀行総裁」に就任しちゅう。

川田の日銀総裁としての権勢は絶大で「日銀の法王」と呼ばれ、1890年の経済恐慌を乗り切るなど、日銀の中央銀行としての機能を確立したり、帝国議会成立に際しては貴族院勅選議員を兼任し、後年長年にわたる政財界の発展に貢献した功により「男爵」に叙せられたがです。

「男爵いも」で知られる「川田龍吉」は、彼の長男ながです。

父「川田小一郎」急死のため「男爵」を継いじょるがです。

明治41年(1908)に当時、函館ドック専務取締役「川田龍吉」が、イギリスのサットン商会から購入した数種類の種芋を、函館市郊外の七重(現七飯町)の成田惣次郎に試作させ、好成績をおさめ付近の農家から次第に近隣の農家へと栽培が広がったのが始まりで、導入者の川田男爵にちなんで「男爵薯」と呼ばれるようになったがです。


[ アクセス ]
・JR旭駅から徒歩約5分、
・土佐電鉄「旭駅前通り」電停下車徒歩約10分
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