後藤象二郎生誕地

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[ 後藤象二郎  高知/与力町 ]

吉田東洋の元で、土佐藩政で活躍したが、東洋暗殺後一時失脚するが、再び役職を得た後には前藩主山内容堂の信頼を得、大監察にまで昇進する。

当時の象二郎は「公武合体派」で、武市瑞山(半平太)を党首とする土佐勤王党を壊滅し、武市らは捕らえられ切腹させたがです。

その後、長崎で「坂本龍馬」と手を握り、龍馬が提案した「船中八策」を容堂に対し進言し、将軍・徳川慶喜に大政奉還させるに至る。

維新後は新政府への参加し、参議・参与などに就任するが、明治6年に板垣退助・西郷隆盛 らと共に「征韓論争」に敗れて公職を離れ、明治14年板垣退助を中心にした「自由党」を設立した。

実業家としての一面もあり、明治7年に長崎県の高島炭鉱の経営に乗り出すが、放漫経営のため破綻し、その後を経営能力の優れた岩崎弥太郎が引き継ぐ。

彼についての評価は様々じゃけんど、結果的において、「大政奉還」が成功し、「明治維新」へ繋がった事だけは評価できるがです。


[ アクセス ]
・土佐電鉄・おおはし通り電停から徒歩約5分

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