我が国最古の沈下橋跡 - 鏡川

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[ 我が国最古の沈下橋跡  高知/高知市・鏡川 ]

今じゃ「沈下橋」言うたら「四万十川」の代名詞のようなもんじゃけんど、”我が国最古の沈下橋”と言うのは、高知市内を流れる鏡川に架かっちょった橋が最初ながです。

と言うても、今では取り壊されて水量の少ない時や、干潮時にそれらしきコンクリート片を見ることが出来るだけじゃけんどねー。

オンチャンも記憶の中で覚えちょって、確かこの辺当たりじゃなかったろうかと思い探しよったら、やっとそれらしき遺構を見つけたがです。

その沈下橋のあった場所には、下記のような説明書きが建つちょりました。(写真1枚目)


昭和50年の台風5.6号、昭和51年の台風17号の連年災で被災し、河川改修の一環で昭和52年(1977年)に撤去された旧柳原橋(沈下橋)は、昭和2年(1927年)6月1日、当時西本直太郎高知市長のもとで高知県土木課及び、内務省への度重なる説得により架橋された、我が国最古の沈下橋である。

当時の高知市土木課吉岡吾一技師(当時20歳代、熊本工業高校出身で最も早くコンクリート造の橋梁を建設)により、中国西湖にかかる石造りの沈下橋を参考にコンクリート造の沈下橋架橋を発案され、昭和の百々越前たる清水真澄土木課長が決断し、架橋に至る。



昭和20年の高知大空襲(1945年7月4日)の際は、高知市中心部の約12、000軒が焼け、逃げ惑う人々が、この沈下橋を渡り南側の筆山の方に逃れたそうじゃけんど、それでも400人程の死者が出たそうながです。

今、当時の犠牲者を追悼するため、りょうまスタジアム(陸上競技場・高知競輪場)側には「高知市平和祈念の碑」が建つっちょります。

時代を見つめて来た沈下橋も、もう今はないがです。

理由は如何であれ、何でも壊してしもうたら「覆水盆にかえらず」で惜しい気がするがですけんど・・・・・。

今残っちょったら、立派な観光遺産にもなっちょたろうにねー。

高知は、古いものは(歴史遺産等を含め)大事にしない風潮が多々見受けられる、残念な限りじゃと思うちょります。


[ アクセス ]
・高知城から、南に鏡川河畔に出、上流部側最初に架かる「柳原橋」より、約50m程上流
  記念の説明プレートは、鏡川左岸(北川)土手の上にあるがです

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