FC2ブログ

野中神社(お婉堂) - お婉さんが父・野中兼山や一族、旧臣の霊を祀る

オンチャン(とさっぽ)

野中神社(お婉堂)(香美市土佐山田町)

[ 高知県香美市土佐山田町中組 ]


父・野中兼山や一族、旧臣の霊を祀った野中神社で、娘のお婉さんが建てた事からお婉堂とも呼ばれちょります。

野中神社(お婉堂)(香美市土佐山田町)

お婉さんは、この神社の建立にあたり先祖伝来の物を人手に渡したり、貴重な品は谷泰山が江戸に行く時、江戸で売りさばいてもらったりして工面し、宝永5年(1708)須江の旧臣古槇家の土地(現在地)を譲り受け小さなお堂を建てたがです。

野中神社(お婉堂)(香美市土佐山田町)


野中神社(お婉堂)

土佐藩家老野中兼山の死後、野中家は改易となり、寛文4年(1664)婉(兼山の4女)は、兄弟姉妹と共に幡多郡宿毛(宿毛市)に罪人として幽閉された。
以後40年間に男子4人が次々に死去し、男系が絶えてのちようやく婉ら3人が許された。
はじめ旧臣井口家を頼って朝倉(高知市)に移ったが、野中家先祖の祭祀を続けたいとして、家宝を売却して須江(土佐山田町)の旧臣古槙氏を頼り現在地に小堂を建立し、先祖の神牌を新しく作り、宝永5年(1708)祭典を営み、祭田五反をつけて後の祭祀を古槙氏に依頼した。
これが野中神社の起りである。
なお、婉は享保10年(1725)12月65才で生涯を閉じ、高知市高見の父・兼山のそばに葬られている。

【 参考・引用 】  説明板より


野中神社(お婉堂)(香美市土佐山田町)


野中神社(お婉堂) 町指定史跡

野中兼山死没後、寛文4年(1664)野中家は改易、遺族や従臣は、宿毛の山内左衛門に預けられ、罪人として監禁された。
蟄居生活四十年、四人の男子が死亡後、三人の娘(寛、婉、将)と母、乳母たちは赦免となった。
婉女と母、乳母の三人は、高知市朝倉の旧臣宅に寄偶し医を業として生計を立てた。
婉女は野中家断絶後、先祖の祭りが絶えるので、旧臣古槇氏をたより、現在地に土地を買い、一間四面の小堂を建立して、神牌を納め、宝永5年(1708)に祭典を営み、祭田五反を寄進して古槇氏に祭祀を依頼した。
社前の小祠には、兼山に仕えていた旧臣の霊を祀ってある。
婉は享保10年(1725)12月、65歳の生涯を閉じた。
同女の漢詩の短冊が神牌に納められ、現在このお堂には野中一族二十一柱と古槇次郎八の神牌が祀られている。
(境内案内板より)

【 参考・引用 】  説明板より


野中神社(お婉堂)(香美市土佐山田町)

野中兼山に仕えていた旧臣の霊を祀る祠。

野中神社(お婉堂)(香美市土佐山田町)

祖廟祭文

慎みて告げ奉る。
配所四十年、伯兄・仲兄・叔兄歿す。季弟毎(つね)に吾に語りて曰く。
先人なす所之神主、吾が命終わらば、倚(よ)るべき無きを如何(いかん)せん。
若し野中氏族の倚るべき有らば、その時は安東氏に訴えんと。
吾対(こた)う。
言う勿(なか)れ、汝幸いにして赦(しゃ)を得ること有らば、子孫祭祀を続(つ)ぐこと有るべし。
若し夭(よう)にして亡ずれば遁(のが)るる所無し。
道を知らず義を知らざる者、豈(あに)之に倚らんや。
癸未(みずのとひつじ)の六月二十有九日、季弟死す。
其の時老母、天を仰ぎ地に臥し、涕(なみだ)を流して曰く、生きて益(えき)無し、共に死すべし、と。
吾対う、共に死するは安し。
然(しか)らば季弟一世の不幸、生れて五月に充(みた)ずして配所に遷(うつ)され、生平樊籠(はんろう)之身たり。
今歿す。
共に死せば、誰有りて尸(し)を隠し死跡を清めんや。
又神主之事如何せん。
暫(しばら)く時を期して其の命を聴かん。
天吾に生をうれば必ず赦(しゃ)を得べし。
然らば他所に移りて其の時を期し、祖廟(そびょう)を造らんと。
九月十有四日夜赦を得。
其の時既に訟を為す、古臣井口氏の家に行かんと。
則ち志を得。
井口氏書を通じ、悦びて老人三十里を遠しとせず来る。
既にして宿毛を去る時、貧乏の家共に去らんと欲する者女子三人、貧窮の期に及んで恩を忘れず、誠に義有りと言ううべし。
正運(しょううん)院、変に処(お)ると雖(いえど)も、温にして順朴、直にして寛、卑女に到るまで自生める子の如くし、家内の者、正運院を見るこ父母の如く之を慕えり。
乳母、壮年の時伯兄之を嫁(か)せしめんと欲す。
乳母涙を垂れて従わず、四十年改めず。
女子の身の、変に居りて丈夫に劣らざるなり。
我、朝倉に於いて扶助米の事を聞く。
吾、涙を流して曰く、豈(あに)受けんや、と。
或人怒りて曰く、老母有り乳母有り、必ず辞すること莫(なか)れと。
此時粉縕(ふんうん)して焉(これ)を辞するを得ざりき。
時に宝永五年戊子九月二十有二日、婉志之祖廟成就し、神主を安置せしむ。
向来(こうらい)、古槇重矩(ふるまきしげのり)なる者、土州香美郡之内山田村に住めり。
重矩家地(やじ)有り、東北之間四方三間、價(あたい)を以て永代に之を買い求む。
重矩家より艮(うしとら)に当たる。
祖廟一間四面、之を造営す。
並びに祭田五反、須江村御蔵入にあり。(ホノギ、カシワギ、ムクノキ。)
賎女(せんじょ)の後、重矩が子孫今の如く祭事を為すべし。
又破損の為此(かく)の如し。
祭事は九月十有一日、強飯(きょうはん)・醇酒(じゅんしゅ)を以て之を祭るべし、必ずや誣(し)い枉(ま)げて神奠(でん)を汚(けが)す勿れ。
僧尼を恃(たの)む勿れ、古槇の子孫をして、主(つかさどら)しむべし。
今日謹みて強飯・醇酒を以て霊前に奠(でん)し、以て野情(やじょう)を伸ぶ。
又古臣之者、勲功に報いんと欲するに、予志を得ず。
忠誠之者下に記し並べ、敢えて以て鬼神に告ぐ。

古槇与三右衛門重矩
此者の父は八左衛門、忠有り義有り。
其の長・理左衛門、変に及び君臣之義を重んじ二君に仕えず。
其の次男次郎八重固、主君之変に会い又死を哀しみ殉死す、実に勇壮なるかな。
世を挙げて殉死を為す者有るも、本より同日に語るべからず、鬼をして泣かしむべし。
代々の忠臣、此(ここ)に於いて神主之右に位せしむ。
古槇与三右衛門重矩、父兄の志を継ぎ我に事(つかえること)祖父の如くす。
初めて之を見、我忠臣之家為(た)るを慮(おもんばか)りて祖廟の事を語る。
曰く、吾素より百銭之儲(もうけ)無し。
先人愛する所の重器有り、之を以て祖廟を造らんと。
曰く、諾(だく)。
始終懈(おこた)らず、一人之を司り巧を成す。
予、祖先を思うと雖(いえど)も、重矩に倚(よ)らずんば如何にして之を成就せん。
古今官禄の為め仕うる者多し。
貧窮之時主君を愛する者、吾古槇之家に於いて之を見る、忠なるかな。

井口長左衛門正康
井口久右衛門長子なり。
其の気量勇者なり。
顎立(がくりつ)之時を述べ、又其の年八月貶(へん)せられて本山を出て其に従う。
世に交わるの志無く、躬耕(きゅうこう)四十年、其の間能(よ)く貧窮之難に耐えたり。
今妻子と別れて我に事(つか)え、一日として外に宿せず。
夜を以て日に続ぎ、薪水窮労之難誠に実るかな。

古槇弾七重中
重矩長子なり。
我に仕えて又親切なり。
若年為(た)りと雖(いえど)も其の気量他に異なり、父母に事え’つかえ)て人品実なる者なり。

伊藤益右衛門重教・伊藤勝兵衛重剛・伊藤才蔵重言
兄弟は先人鐘(しょう)愛之臣なり。
兄弟は大変之時に当り、顎立之日より命有りて昼出入を緩(ゆるやか)にせずして茲(ここ)に四十年なり。
重剛早く死し、次子益右衛門、才蔵と同に其間密かに先人の封塋(ほうえい)を掃除して惰らず。
忌日には夜間墓前に奠(でん)し、暁天に到りて帰る。
時に内外の族人・故旧之家多く、嘗(かっ)て一人として墓前に拝する莫(な)し。
嗚呼忠なるかな。
重剛之子二人あり、長は習伯、能く父の志を継いで怠らず、不幸にして早世す。
次子は重教、又能く其の志を継ぎ今に至ること一日の如し。
家を挙げて忠なる者と謂(い)うべきなり。

井口段之丞正基
正康長子。
予、宿毛より来りて柴の庵(いおり)を結ぶの時、日を以て夜に続ぎ、力を厭(いと)わず匹夫之業を為し貧窮なりと雖も志を加え功を成せり。

近藤務右衛門安興
此の者近藤六郎兵衛次子にして、井口正康妹の子なり。
柴の庵を結ぶの時、正基と同(とも)に匹夫之業を作(な)し、清貧なりと雖も志を加え功を成せり。

刈屋喜兵衛
此の者、一明公に仕えし處の者なり。
主君を慕い、大変之時に及び、向来恩義を擔(にな)う者却(かえ)って不忠不義を致す者多く、世を挙げて衆人此(かく)の如し。
然(しか)るに此の者始終二心無き者なり。
四十年配慮之地に問を成し、其の訪う所実(まめやか)なり。
世間訴えて言う有らば、彼(か)の者、道を以て此の如と、奇なるかな。

野村与三右衛門
父・野村甚兵衛重正の子なり。
其の重正、人品他に異なり、先人撰挙する所の士なり。
其の気象剛毅正直、雪霜之操を守る者、重正に於いて之を?ること始終なり。
配所に於いて病死す、痛ましいかな。
与三右衛門、父之志を続ぎ柴の庵を結ぶの時志を加え、又祖廟を造る之時に到りて志を呈せり。

婉、女子之身為(た)りと雖も、鬼神に事(つか)うる所豈隔(あにへだて)有らんや。
尚(こいねが)わくは饗(う)けよ。

(『皆山集』所収の写し(漢文)を読み下し文に改めたものです。宝永五年九月二十二日の祖廟落成に際し、婉が読みあげ、その原文を奉納しました。)
この祭文は、野中兼山の四女婉が認(したた)めたものです。
原文は漢文ですので、依光貴之先生が読み下し文にしてくれたのを活用させて頂きました。

寄贈 平成二十四年十月二十三日 野中婉を顕彰する会
公益法人「こうちNPO地域社会づくりファンド」基金運用

美市教育委員会

【 参考・引用 】  「祖廟祭文」説明板より


野中神社(お婉堂)(香美市土佐山田町)

参道脇にゃ沢山の歌碑が建てられちょりますが、女医じゃったお婉さんに因んでか女性の歌碑や女医さんの歌碑が目に付くがです。

野中神社(お婉堂)(香美市土佐山田町)

小説『婉という女』を書いた大原富枝の歌碑もあったがです。



MapFan地図へ 
関連記事
Posted byオンチャン(とさっぽ)

  



Comments 0

There are no comments yet.

Leave a reply


今一度選択いたし候 市町村別記事 高知市 市町村別記事 東部 市町村別記事 中央部 市町村別記事 西部
・ 維新の礎 ・ 高知市 2008 ・ 安芸市 ・ いの町 ・ 大月町(記事無)
・ 歴史・史跡・その他  ・ 高知市 2009 ・ 馬路村(記事無) ・ 大川村(記事無) ・ 黒潮町(記事無)
・ 高知市 2010 ・ 北川村 ・ 大豊町(記事無) ・ 四万十市
・ blog 閲覧記事ベスト50 ・ 高知市 2011 ・ 芸西村 ・ 越知町 ・ 四万十町
・ 写真が掲載されました ・ 高知市 2012 ・ 田野町 ・ 香美市 ・ 宿毛市(記事無)
・ 高知市 2013 ・ 東洋町(記事無) ・ 香南市 ・ 津野町
・ 高知市 2014 ・ 奈半利町 ・ 佐川町 ・ 土佐清水市(記事無)
・ 高知市 2015 ・ 室戸市 ・ 須崎市 ・ 中土佐町
・ 高知市 2016 ・ 安田町 ・ 土佐市 ・ 三原村(記事無)
・ 高知市 2017 ・ 土佐町(記事無) ・ 梼原町
・ 高知市 2018  ・ 南国市
・ 高知市 2019  ・ 仁淀川町
; ・ 日高村
・ 本山町(記事無)