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佐田神社 - 龍馬の家の近くにある恵比寿さん

佐田神社(高知市)

[ 高知県高知市上町二丁目 ]


上町2丁目にある城西館さんから電車通りを挟んだ北側のビルの合間に、赤い鳥居を潜り約十段ほどの石段を上ると、畳3畳ほどの広さの境内にお堂がある佐田神社が鎮座しちょります。

此処は、エビスさん(恵比寿様)。

余談じゃけんど、赤い鳥居言うたら、お稲荷さんのイメージが強いけんど、赤(朱)の原料は水銀=丹ですき、木材を守る防腐剤の意味合いもあるけんど、古来から災厄を防ぐ色と言う意味でも重要視されちょるがですから、お稲荷さん以外の神社でも赤(朱)い鳥居や朱塗りの社殿等を見かけます。

つまり、魔力や災厄を防ぎ、霊験を高める意味合いを持っちょるがです。

佐田神社(高知市)

赤い鳥居の脇に「佐田神社畧(略)誌」と言う、高札が建っちょります。

佐田神社畧誌

御祭神 大国主神事代主神(えびすさま)
 
由緒
慶長の初年(350年前)幡多郡清水の漁夫海上に此御神体を得て建社し崇敬す
慶長7年土佐藩支藩山内修理亮公、同郡中村に守護神とす
慶長11年高知城の西南枡形に移して総鎮守とす
其後、また現地に移し奉斎

合祀神社 猿田彦神社・琴平神社

【 参考・引用 】  高札より抜粋


慶長年間の初め頃、御神体が現・土佐清水の漁師の網で引き上げられ勧請されちょったのを、土佐藩の支藩・土佐中村二万石の山内修理亮が中村に守護神とし祀るが、その後、更に高知城下の郭中枡形に遷座したがじゃそうです。

山内修理亮とは、山内康豊(やまうち やすとよ)と言い、土佐藩初代藩主・山内一豊の同母弟ながです。

天文18年(1549年)、尾張国岩倉城主・織田信安の家臣・山内盛豊の四男として同国黒田城に生まれる。
元亀3年(1572年)頃から織田信長の嫡男・信忠に仕えるが、明智光秀のの起こした「本能寺の変」で織田信忠も自害後は、兄・一豊に仕えた。
関ヶ原の戦い後、土佐に山内一豊が入国する際、先に山内康豊が城の受け取りのため土佐に入る。
慶長6年(1601年)6月、康豊は土佐中村2万石に封ぜられた。
ただし、当初江戸幕府は土佐藩の支藩としては公認してはいなかった・・・・・。


この山内康豊(山内修理亮)の長男が、土佐藩第2代藩主・山内忠義ながです。

山内大膳亮邸跡 - 大膳町の由来 2009.10.25

山内一豊には子供が居らんかったき、同母弟・山内康豊の血統がその後の土佐藩を治めちょります。

ちょっと、それたけんど、寛文9年(1669)の絵図では枡形町、その後の天保12年(1841)の絵図では本町筋の区割りが見えますき、現遷座地が当時から変わっちょうるか如何かは分からんけんど、本町二丁目北に「恵比寿堂」があったようですき、明治以降に「佐田神社」と変わったがじゃないかと思われます。

どっちにしても、本町筋二丁目にあった恵比寿さんじゃき、坂本龍馬の家や本家・才谷屋とも同じ町内じゃったき、商売繁盛等、両家共に崇拝しよったお宮さんじゃと思いますー・・・・・。



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