立田天神 - 菅原道真と長男・高視朝臣の乳母を祀る天神さん 

立田天神(南国市立田)

[ 高知県南国市立田 ]


「立田天神」の立田の読みは、「たつた」じゃのうて、「たてた」と読みますが、天神とあるように、菅原道真を祀る天神さんです。

立田天神(南国市立田)

延喜の昔 
菅原高視朝臣の乳母某 
菅公遺愛の八重の白梅一株を奉持し 
土佐権守で当国潮江の里にお座せる高視朝臣の許へ下向の途中 
当地で病死せられた 
此処が其の御墓所だと伝えられている
 
【 参考・引用 】  石碑の碑文より


菅原道真は、第59代・宇多天皇に重用されて、宇多天皇の治世を理想視した寛平の治を支えた一人で、第60代・醍醐天皇の許でも右大臣にまで昇りつめるが、左大臣・藤原時平の讒訴(他人をおとしいれようとして、事実を曲げて言いつけること)され、大宰府へ左遷され、延喜3年(903)大宰府で亡くなるがです。

延喜元年(901)に起こった、菅原道真を大宰府へ左遷、長男・高視朝臣ら子供ら4人や右近衛中将源善らを左遷または流罪に処した一連の事件を、昌泰の変と言うがですが、土佐にゃ長男・高視朝臣が左遷されちょったがです。

碑文にゃ、「延喜の昔」としか刻まれちゃーせんけんど、菅原道真が亡くなった延喜3年(903)以降に、菅原道真の侍臣・松本春彦(白太夫)が遺品を持って土佐に来たけんど、一緒に同行して来た高視朝臣の乳母某は、此地で病に伏し、土地の人々の看病の甲斐なくなくなったがじゃそうです。

この神社は、村人たちが其の死を悼み、一緒に携えて来た菅原道真の愛でた遺品の白梅を御神体にし祠を建てて、菅原道真と乳母の霊を祀ったのが始まりじゃそうです。

立田天神(南国市立田)

当時の白梅は枯れてないがですが、代替わりした白梅が植えられちょるそうながです。

【 参考・引用 】  『南国の歴史を歩く』 南国市教育委員会 (平成10年)


因みに、菅原高視朝臣が父・菅原道真の死を知って創建したと伝わっちょるがが、高知市の潮江天満宮になるがです、

随身像 - 潮江天満宮 2009.01.13
菅原高視朝臣 - 父・菅原道真に連座して土佐権守として土佐に左遷 2017.08.25




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