安並但馬 - 米森玄蕃を滅ぼし斗賀野城主になるも領民たちによって惨死

安並但馬塚(佐川町西組)

[ 高知県高岡郡佐川町西組 ]


以前、御紹介しちょります長宗我部軍の軍監として斗賀野城 (二ノ部城)を攻め城主・米森玄蕃元高を討ち、武功により斗賀野城 (二ノ部城)の城代になった安並但馬のお話ながです。

米森玄蕃元高 - 長宗我部元親に降伏せず、ただ一人迎え討ち激戦の末討死 2017.08.13
斗賀野城址 (二ノ部城址) - 蓮池城主・大平氏家臣・田原彦右衛門年為が代官に 2017.06.27

安並但馬塚(佐川町西組)
斗賀野を領して数年後、滅ぼされた元城主・米森氏を慕う農民たちの一揆によって、斗賀野城 (二ノ部城址)は襲われ城は焼け落ちたそうながです。

安並但馬は逃れて茨叢の中に身を隠しちょったけんど見つかり、農民たちの竹槍衾に囲まれ惨死を遂げたと云う。

昔は塚があったと云うけんど、今は写真のように、畦道の一角にこんまい(小さい)祠が残るのみで、何なのか知らん人が多いと言う・・・・・。



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