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へんろ標柱 - 廃仏毀釈以前の遍路道・国分川の渡し場近く

へんろ標石宮(高知市大津)

[ 高知県高知市大津 ]


一宮・土佐神社傍の第30番札所善楽寺から、土佐神社の参道を南に下った国分川の対岸の田部島地区の細い辻路の一角に、赤いペンキでなぞられたの自然石の標石と、写真じゃとその右側になるけんど、もう一つ建っちょります。

赤いペンキでなぞられたの自然石の標識の方は、下記のように記されちょります。

従是五臺山三十丁 
右遍路道
文政三年
辰正月吉日


文政三年は1820年。

時代的に判り易く書くと、坂本龍馬が生まれる15年前に建てられた、へんろ標石ながです。

へんろ標石宮(高知市大津)

そんで、もう一つは、自然石の角柱で如何やら上部が欠損しちょるようでよく読めんけんど、「○んろ道 ○四十丁」とあるがです。

へんろ標石宮(高知市大津)

此処に、何是「へんろ石」や「へんろ標柱」があるかというと、明治以前は第30番札所善楽寺から南に下り、国分川からは渡し船で対岸のこの近くの渡し場にあがり、そこから更に南に下って第31番札所の五台山竹林寺に行くのがルートじゃったがです。

ところが、明治維新を迎えた明治3年1月3日(1870)に出された詔書「大教宣布」]などの政策を切っ掛け起こされた廃仏稀釈によって土佐も多くの仏閣が廃寺になり、明治8年(1875)に再興が早かった安楽寺が30番札所となった事で、遍路道が変わったがです。

じゃき、第30番札所善楽寺から、現在は・奥の院になった元(一時期)・30番札所安楽寺までの道筋に残っちょる「へんろ石」は明治期以降に建てられた物ながです。

因みに、現在の善楽寺が廃仏毀釈前の第30番札所に再興されたがは、昭和4年の事ながです。

時代は変わり、川にゃ橋が架かり、歩き遍路から車での移動が主流になった昨今、お遍路さんたちのルートも大きく変わり、ここ等を歩くお遍路さんの姿は見かけません。


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