米森玄蕃元高 - 長宗我部元親に降伏せず、ただ一人迎え討ち激戦の末討死

米森玄蕃戦死之跡(佐川町西組)

[ 高知県高岡郡佐川町西組 ]


今回は、以前御紹介した斗賀野城 (二ノ部城)の城主じゃった米森玄蕃元高です。

斗賀野城址 (二ノ部城址) - 蓮池城主・大平氏家臣・田原彦右衛門年為が代官に 2017.06.27

米森玄蕃戦死之跡

(前略)
長宗我部元親起リテ武威振ヒ
土佐併合呑ノ勢ヲ(のみ込む勢いを)以テ
佐川城主ヲ刃ニ釁(ちぬ)ラズシテ降シ
潮ノ如ク
二部城ニ迫リ来レリ時ニ
米森玄蕃孤城無援ナリシモ
胸守ニ堅ク決スル所アリ
自ラ城ヲ出デテ殺到スル敵中ニ入リ
奮戦大イニ努メシガ
如何セン衆寡敵セズ
竟(つい)ニ
千古ノ恨ミヲ呑ミテ
可惜城外ノ露ト消エタリ
時ニ元亀元年十一月ニシテ
家臣亦(また)皆殉節ノ血ヲ注ギテ殪(たお)レシハ
如何ニ悲壮ナリシカ
(後略)
昭和八年十一月
斗賀野村史蹟保存会

【 参考・引用 】  碑文より



米森玄蕃戦死之跡(佐川町西組)

米森玄蕃元高は、長宗我部元親の土佐統一の時、高北隣郷の群雄諸氏が人質を出して無条件降伏する中、「大平氏の再興を約束がなければ降伏しない」と断わり、長宗我部元親も「降伏させれば火種が残る」として降伏を許さず、ただ一人、安並但馬率いる長宗我部軍を迎え撃って奮戦しするも城は一瞬にして壊滅し、城の南門大木戸の付近で戦死したそうながです。

その城の南門があった辺りにあった米森玄蕃元高の墓の跡に、昭和8年に建てられたのがこの碑じゃそうです。


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