池知退蔵 - 土佐勤王党に178番目に加盟

池知退蔵墓(南国市上末松)

[ 高知県南国市上末松 ]


池知退蔵(いけぢ たいぞう)は天保2年(1831)、長岡郡西野地村(現・南国市)の郷士の家に生まれ、名を重利(初名・重胤)、通称・退蔵と云う。

嘉永4年(1851)、家督を相続。

文久3年(1863)2月、土佐勤王党には178番目に血盟加盟しちょります。

また山内容堂に従い京に上り、機密を扱う御用掛けの命を拝し、諸藩の動向を探索するなど尊王攘夷派として奔走しちょります。

土佐勤王党の獄が起こると、同志らと藩政の非を訴え、捕らえられた武市瑞山らの釈放求めるが叶わなかった。

慶応3年(1867)、京に上り中岡慎太郎と交わり、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された後も、遺志を継いだ。

戊辰の役には、軍監兼断金隊長として従軍し武功を立てる。

維新後は、郷里の西野地村戸長(村長)を務めたり、士族の授産(失業者などに仕事を授けて、生活の道を得させること。)の為の産業振興にも尽力した。

また子弟教育の為に、香美郡立田村(現・南国市)に嶺南社香長学舎を開設するなどして、後進の教育にも尽力した。

自由民権運動が始まると、保守中正の立場に立ち、高陽会を興し新聞の発刊や、土佐国州会議員や県会議員等も歴任する。

憲法発布後に退き、自適の生活を送り、明治23年(1890)60歳で亡くなっちょります。

【 参考・引用 】  『高知県人名事典』 高知新聞社 (平成11年)


池地退蔵墓(南国市上末松)


【 注意 】
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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