宝永町電停付近 - 高知城下の伊能忠敬緯度観測地点経度33度34分

宝永町電停(高知市中宝永町)

[ 高知県高知市中宝永町 ]


此処は、交差点を挟んで両側に、とさ電交通後免線のホームがあるがですが、写真は西側の「はりまや橋方面行き」のホームのある宝永町電停ながです。

住所は、高知市中宝永町附近、昔は下地村と呼ばれちょった附近ながです。

下記の書物に、次のような記述があるがです。

伊能忠敬側地所

宝永町(電車停留場)に在り。
(中略)
その高知に着せし時は、種崎町辰巳屋(元土佐銀行のありし所)に宿して数日測量したが、この時、高知に於いては、現在の高知市寶永町即ち元下地小学校の顯道(県道)と南北道路の交差點(交差点)で、其處(其処)を経度三十三度三十四分と観測したのであった。・・・・・

【 参考・引用 】  「土佐の史跡と名勝」 武市佐市郎・著 (昭和6年発刊の復刻版)


辰巳屋伊藤傳右衛門邸跡付近 - 伊能忠敬が高知城下で三日間宿泊 2017. 03.26

宝永町電停(高知市中宝永町)

写真は、その南北道路の南側から見た交差点ながですが、古い地図を見ると、交差点右の北側に元下地小学校があり、更に古い地図には、この南北道路辺りが宝永堤になっちょり、写真だと右側(東側)は新田開発された水田や湿地帯じゃった場所ながです。

伊能忠敬一行は、ここ等に在った宝永堤付近で測量をしたようながですが、残念ながら、ここ等辺りが伊能忠敬緯度観測地点じゃというような痕跡はありません。

もと下地村の人家は高知城下北東端の江ノ口川対岸にあったが、宝永4年(1707)の(宝永の)大地震による江ノ口堤防の決壊以降、城下新町の新寺町の地に移ったという。
その時に、居住地の囲いとして鉄砲町の東端江ノ口堤より、南方三ッ頭まで堤を築いた。
これを下地中堤(宝永堤とも)といった。(皆山集)

【 参考・引用 】  「日本歴史地名大系40 高知県の地名」 平凡社刊


今でも、南北道路(宝永堤)の西側には、宝永町の町名が残っちょりますが、町名は宝永堤を築く事にもなった宝永大地震に由来するがです。

宝永町電停(高知市中宝永町)


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