横山覚馬直方 - 佐幕派の考えを持ち、鹿門十哲の一人とも称される

横山直方(高知市)

[ 高知県高知市布師田 ]


横山直方は、文化14年(1817)に高知城下の土佐藩御馬廻格・横山助之進直保の子に生まれ、通称は覚馬と言う。

天保12年(1841)に跡目を継ぎ、弘化4年(1847)に教授館御目付役となり、後、御郡奉行や大御目付を経て、安政5年(1858)には約1年3ヶ月程、山内容堂の御側御用を務めちょります。

因みに、嘉永6年(1853)に山内容堂によって大目付に抜擢され参政として強力な藩政改革を主導しちょった吉田東洋が、安政3年(1855)江戸で、酒宴における旗本殴打事件を引き起こして罷免された事で帰郷し隠居を余儀なくされ、私塾(少林塾)を開き、後藤象二郎や乾退助、福岡孝弟、岩崎弥太郎等を育て上げるがです。

その吉田東洋が赦免され再び参政として藩政に復帰したのが安政4年(1858)の事ですき、佐幕派の考えじゃった横山直方も、佐幕派中心の土佐藩を支える一人じゃったがです。

横山直方は、儒学を安積艮斎・大槻盤渓に学び、国学は武市瑞山の叔母が嫁いだ土佐の国学者・鹿持雅澄に学び、鹿門十哲の一人ともされちょります。

鹿持雅澄生誕地・邸跡 - 妻は武市半平太の叔母 2010.04.14

鹿門十哲とは
                                                   
① 大崎重樹 藩士
② 葛日朝風 藩士 別府信榮と共に訂正萬葉集二十卷を編輯す
③ 南部嚴男 藩士 古義の人物傅に執筆す
④ 野田千蓴 
⑤ 別府安宣 藩士 萬葉名所考の編に蠱す
⑥ 松本弘蔭 土佐日記地理辨逍考・日本紀歌史読等の著
⑦ 宮地釜躬 祠官 簾古言徴外十三種の著述
⑧ 宮地常磐 祠官 品物解圖繪に執筆
⑨ 宮地守遠 祠官 
⑩ 横山直方 藩士 日本紀歌注等の著


横山直方の門人にゃ、日本細菌学会に名を残した中江兆民の従兄弟になる浅川範彦がおるがです。

浅川範彦 - 中江兆民の従兄弟にして明治時代の細菌学者で医学博士 2015.02.27
浅川範彦博士顕彰碑 - 日本細菌学会に名を残した土佐人 2016.02.24

この横山直方は、野中兼山の下、難工事じゃった室津港の改修工事を担当し、難工事を成し得た後、海神との約束を果たすため人柱となり、切腹した一木権兵衛さんの末裔にもなるがです。

一木権兵衛 - 難工事・室津港開鑿を成し人柱として海神に身を捧げる 2014.09.01
野中兼山 - 野中兼山一族の墓所 2015.10.13
室津港 - 地震の度ごとに大地の隆起が起こり掘込みを繰り返した港 2016.08.26

横山家墓所の一角に建てられている説明板にゃ、一木権兵衛の妻は横山信次の娘で、次男が横山家の養子に入り横山新兵衛直信として横山家を継ぎ、その子孫になるのが横山覚馬直方ながです。

一木権兵衛夫妻の墓も、横山家墓所にあるがです。

維新後は閑居し、明治5年(1872)、56才で亡くなっちょります。

【 参考・引用 】  『高知県人名事典』 高知新聞社 (平成11年)




【 注意 】
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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