篠原の柏水 - 兄・頼朝の挙兵に立ち挙がるも破れ東走途中喉の渇きを潤す

篠原の柏水(南国市篠原)

[ 高知県南国市篠原 ]


偶々、南国市の吾岡山の手前で国道55号を左折して、田畑の続く道をJRの御免駅方面に走りよったら、水路の脇に立て札があり、何じゃろーと思うて近寄って見たら、このブログでも何度か取り上げちょります源頼朝の弟・源希義に関わる史跡じゃったがです。

篠原の柏水(南国市篠原)

篠原の柏水の由来

平治の争乱(1159年)で、源家棟梁源義朝は、武運つたなく平家棟梁平清盛の前に屈し頼朝(当時13歳)は伊豆の蛭ヶ小島へ、義経(牛若・・・当時13歳)は、京の鞍馬へ押し込められます。
当時3歳とも9歳とも言われる源希義は高知市介良の地へ配流され平家方監視の下、20数年間の陰忍自重の暮らしを強いられます。
希義は介良の地に配流中、土佐における平家方有力武将平田太郎俊遠の妹とも、俊遠の弟継遠の娘とも言われていますが平家方の娘を嫁に貰い隆盛、希望の二子、若しくは希望の一子を儲けました。

治承4年(1180年)12月1日兄頼朝の打倒平家に呼応するも、武運つたなく破れ土佐における数少ない源氏方武将夜須七郎行家を頼り、愛馬と共に東走する途上喉の渇きをおぼえた希義はこの辺りで農夫に水を所望したところ、柏の木の袂からコンコンとわき出る泉を教えられ柏の葉で水をすくい喉を潤しその農夫に褒美として扇子を与えたという。
この故事により「篠原の柏水」として今に伝えられています。

尚この柏水と伝承される柏の木は往時からは3代目と言われています。
本当の樹種は「チシャノキ」でこの地は我国の東限で(最東端に生息)あり絶滅危惧種であります。

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源希義公顕彰会

【 参考・引用 】  説明板より


篠原の柏水(南国市篠原)

平家方の追手から逃れ、味方の夜須七郎行家の待つ野市方面に逃れている途中、此処で喉の渇きを潤したと言うがです。

馬上の源希義が喉が渇いたのであれば、当然愛馬も同じように喉を潤した事でしょう。

しかし、此処で費えた時間が生死を分けたのかも知れませんねー。

源希義が、更に逃れるも追手に追いつかれ討死したのは、此処から直線距離で約2Km程の場所になります。

源希義戦死伝承之地 - 兄・頼朝の挙兵に立ち上がるも平氏に討たれる 2016.07.15


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