原荘九郎幸綱 - 戊辰戦争・折衝隊・会津若松で戦死

原荘九郎幸綱(高知市)

[ 高知県高知市薊野北町  ]


原荘九郎幸綱は、高知城下・南新町(現・高知市)の人で、戊辰戦争・東征には土佐藩折衝隊の徒士として従軍ちょります。

原荘九郎幸綱(高知市)

原荘九郎幸綱(高知市)

明治元年戊辰七月従官軍赴越前米
澤城総陥又向若松城奮戦九月十七日
中丸而歿時年十有九


戊辰戦争には、明治元年七月に官軍として赴き、越前米沢藩が官軍に恭順した後、会津若松城攻めに向かい奮戦するも、十九歳で戦死しちょります。

因みに米沢藩が官軍に恭順したのは、東山道先鋒総督府の中心だった土佐藩・迅衝隊の谷干城・片岡健吉・伴権太夫らの連名で書かれた米沢藩に恭順を薦める内容の書状が、土佐藩主・山内豊資から米沢藩主・上杉茂憲の正室となっていた三女・貞姫に届けられた事で、一気に米沢藩の藩論が恭順へとまとまり、「朝敵」の汚名をそそぐことになったそうです。

原荘九郎幸綱(高知市)

本墓は、現・会津若松市の東明寺の西軍墓地に埋葬されちょりますが、土佐にある墓は行った時は。竹藪の中でポツンと眠っていました。

会津若松西軍墓地 2 - 故郷遠き会津若松に眠る土佐藩兵49名 2015-10-26  



[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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