安岡覚之助 - 土佐勤王党171番目の血盟同志、戊辰会津若松戦で戦死

安岡覚之助(香南市

[ 高知県香南市香我美町山北 ]


安岡覚之助は、天保6年(1835)香美郡山北村(現・香南市香我美町山北)の郷士・安岡正理(文助)の長男として、安岡家お西家に生まれちょります。

覚之助は通称で、名は正義(正美)という。

嘉永6年(1853)安岡家本家平八正秀の養子にとなっちょります。

幼少より学才があったようで文武を学び、安政3年(1856)にゃ長崎に留学し砲術を学び、蘭学・兵学・地理学をも学び帰国しちょります。

文久元年(1861)三番目の実弟・道太郎と大阪住吉陣屋に詰めちょります。

安岡道太郎 - 安岡三兄弟の三男 2012.02.24

同年、武市瑞山が土佐勤王党を結党成すると、171番目の血盟同志に加わり奔走するがです。

しかし、武市瑞山の唱える攘夷による倒幕と、公議政体論を唱える参政・吉田東洋とは意見が合わず、やがて吉田東洋暗殺を実行するがですが、この時の実行犯の一人・安岡嘉助は実弟(次男)になるがです。

安岡嘉助 - 吉田東洋暗殺後脱藩し天誅組の挙兵に参加する 2015.09.18

文久3年(1863)土佐勤王党の獄が始まると、武市瑞山を初め多くの同志が捕縛されるがですが、慶応元年(1865)獄に投ぜられ、島村雅事や河野万寿弥らと永牢(終身禁固刑)を仰せ付けられちょります。

慶応3年(1867)佐々木高行らの努力によって、投獄されちょった土佐勤王党員は釈放されるがです。

安岡覚之助(香南市

為小軍監慶応四戊辰



戊辰戦争が始まると、土佐藩東征軍主力部隊である迅衝隊・小軍監に任ぜられ各地を転戦するがですが、慶応4年(1868)8月25日会津若松城攻めの際、流れ弾に当たり戦死しちょります。

享年34。

本墓は、現・会津若松市の東明寺の西軍墓地に埋葬されちょります。

会津若松西軍墓地 2 - 故郷遠き会津若松に眠る土佐藩兵49名 2015-10-26  

安岡覚之助(香南市

八月二十五日於若松城戦没
時年三十又四


山北両烈士の碑 - 安岡覚之助、嘉助兄弟 2008.12.26

【 参考・引用 】  『高知県人名事典』 高知新聞社




[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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