高座古墳 - 古墳時代後期の支配者の墓とみられ、稲毛大明神の御神体か

高座(高知市神田)

[ 高知県高知市神田 ]


此処は坂本家の守護神でもある和霊神社にもほど近い、高座公民館の南の山にある稲毛大明神さんです。

此処に来た切っ掛けは、以前、同じ高知市神田にある石土神社と石鎚神社の記事に関連するがですが、その石鎚神社の方の扁額にゃ石鎚神社・稲毛神社と両社の名が在り、つまり合祀されちょる神社ながですが、その後、偶々、石鎚神社(石鎚神社・稲毛神社)周辺を地図で見よったら、この石鎚神社の約500m西方に「稲毛大明神」の名があったがです。

石土神社と石鎚神社 - どちらも同じ神さんで石鎚山は蔵王権現の化身 2015.04.10

(高知市神田)

それに、稲毛大明神が鎮座しちゅう場所は、石鎚神社(石鎚神社・稲毛神社)の参道の延長線の先に在るがです。

こりゃー、両神社は何ぞ関連があると思い行ってみたがです。

けんど、鳥居を潜って見た拝殿は簡素な物で、何にもありませんでした。

一様、本殿をと思い裏に回って見たら、下記の写真のようになっちょりました。

高座古墳(高知市神田)

高座古墳(高知市神田)

見た瞬間、「あっ、こりゃー古墳じゃか」と・・・・・。

高座(高知市神田)

傍にあった説明板にゃ「高座古墳」と書かれちょりました。

高座(コウザ)古墳

古墳時代後期(六世紀後半~七世紀前半)のこの地の支配者の墓とみられ、神田地区では舟岡山古墳と並ぶ数少ない古墳である。
大きな割り石で横穴式の石室を造り、土を盛った径10メートルほどの円墳であり、羨道部の天井石は一部失われているが、玄室及び羨道部側部は比較的良い状態で残っている。

神田地区コミュニティ計画推進市民会議
高知市教育委員会

【 参考・引用 】  説明板より


高座古墳(高知市神田)

羨道部入口は開いちょりますが、仮に入るとしたら腹這いにならんと無理な高さと横幅です。

高座古墳(高知市神田)

本殿北側から見たら大きさが様わかります。

この稲毛大明神と稲毛神社の由緒と関係は定かじゃないけんど、両神社は絶対に関係があると思うし、稲毛大明神の本殿は古墳の上に鎮座しちょりますき、如何見ても稲毛大明神の御神体はこの古墳じゃと思われます。

高座古墳(高知市神田)

「高座」の語源を調べて見たら、普通、寄席の舞台を高座(こうざ)と言い、語源は寺院、説教所で説教師が着く「講座」にあり、聴衆のいる平座より高く設けられたところから「高座」と書くようになったとある。

しかし、別の見方をしたら、 天皇や将軍が謁見などのときにすわる座も「高座」と言うがです。

天皇の座る座は、高座(たかくら)もしくは、高座(たかみくら)とも記されちょります。

【 参考・引用 】  高座とは - 難読語辞典 Weblio辞書


この高座古墳のある高知市神田にゃ字名が「神田」・「高神」、それに此処の「高座」が隣接してあり、地名自体からして何とも意味深な地名の地区です。

上の写真は、高座古墳から見た稲毛神社のある東側の風景じゃけんど、古墳は標高が約20m程の山裾に在り、下を見下ろす様に古墳入口は開いちょります。

最後は、この時、ふと浮かんだ在る情景の歌で〆ます。

それは「仁徳天皇」が詠んだ歌。

高き屋にのぼりて見れば煙立つ 民のかまどは にぎはひにけり

【訳】
高殿に登って国のありさまを見わたすと、民家からは煙がたちのぼっている。
民のかまども豊かに栄えているのだった。




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