片岡利和邸跡 - 土佐勤王党、陸援隊志、明治24年千島列島を探検

那須盛馬(片岡源馬)邸跡(高知市)

[ 高知県高岡郡佐川町乙 ]


佐川町の方から猿丸峠を越え、斗賀野の方に下って来ると、左側に片岡利和邸跡の説明板があるがです。

元の名は永野源馬と言い、那須橘蔵の養子となって那須盛馬と称し、慶応元年(1865年)片岡源馬(利和)と改名し、中岡慎太郎の陸援隊志の一人ながです。

佐川町指定文化財 片岡利和邸跡

高知藩士永野(長野)氏の次男として生まれ盛(守)馬といった。
鳥の巣村那須橘蔵(橘造)の養子となり深尾領主につかえた。
小躯(小さい身体)であったが大刀の持主として近郷に聞こえ、剣道に長じた。

元治元年(1864)田中光顕らと共に脱藩志国事に奔走する。
明治維新後、片岡利和と改名し明治天皇の侍従をつとめるなどして男爵を授けられた。
墓は東京青山にある。

那須家の墓地は、この邸跡の上にある。

平成四年三月一日建立

高知県文化財保存事業
佐川町教育委員会

【 参考・』引用 】  説明板より


那須家先祖の墓(片岡源馬)邸跡(高知市)

あまり知られちょりませんが、明治天皇の命で、明治24年に千島列島の探検を命ぜられ択捉島に渡り、翌年春から各島を巡航し、明治25年(1892)に帰京した事で、国民が千島への関心を高める契機ともなったと言う。

那須盛馬 - 土佐勤王党に141番目に加盟 2012.11.26
赤土峠 - 佐川勤王五士達の「脱藩志士集合之地」碑 2015.03.23

那須家先祖の墓(片岡源馬)邸跡(高知市)

昔は那須家先祖の墓から邸跡を見降ろすと、写真のような風景でしたが、今では一面、太陽光発電のパネルが敷き詰められ、様変わりしちょります。


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