北代健助 - 堺事件・九番目に切腹

北代 堅助(南国市)

[ 高知県南国市十市 ]


写真は、堺事件十一烈士の一人・北代健助邸跡を示す史跡の標柱です。

北代堅助は、天保4年(1833)に、長岡郡十市村(現・南国市)の土佐藩郷士の家に生まれちょります。

郷士といっても、山内氏入国後の新田開発政策で郷士株を手に入れ、郷士格になっちょります。

諱は堅勝、通称は堅介、健助とも書かれる。

慶応4年(1868)、箕浦元章(猪之吉)の率いる警備隊の、折衝六番隊に属して摂州大坂・泉州堺の警備の任に付いちょりました。

事件が起こったのは、慶応4年(1868)2月15日泉州堺事件が起こるがです。

堺事件 - Wikipedia



北代 堅助(南国市)

事件後、開国間も無い日本に対し、フランス側は非を認めず理不尽な一方的な抗議と圧力のもとに屈し、事件関係者は責任を取らされて切腹させられるがです。

そして2月23日、堺妙国寺に於いて、9番目に切腹させられらのが北代健助でした。

享年36。

北代 堅助(南国市)

辞世の句

身命ハ かくなるものと うち捨てて ととめほしきハ 名のミ 也けり


北代健助さんは、切腹して死んで逝くけんど、名前は覚えちょって欲しいと・・・・・。

遺髪墓は、碑のある右の山の中にあるがです。

【 参考・引用 】  『高知県人名事典』 高知新聞社




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