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上田官吉正秋 - 土佐勤王党に75番目に加盟、会津城攻めで戦死

上田官吉正秋(高知市)

[ 高知県高知市薊野北町  ]


場所は、1月15日に記載した東真宗寺山の中島與一郎のお墓の近くにあります。

上田官吉は、天保10年(1839)に高知城下浦戸町(現・高知市はりまや町)に用人格の家に生まれ、名は政秋という。

土佐勤王党にゃ75番目に血盟同志に加わっちょり、文久3年(1863)に京都に上っちょりますが、平井収二郎が間崎哲馬・弘瀬健太らと青蓮院令旨事件を起こした時、土佐に送還される収二郎の護衛にあたっちょります。

また、その後、土佐勤王党への弾圧が始まり武市瑞山や主要な同志達が捕らえられ投獄されると、大石弥太郎を代表として同志たちと連署し、捕らえられた同志達の釈放と藩政の改革を求める建白書を藩に提出しちょります。

慶応3年(1867)11月、藩兵小隊嚮導として上京し、翌慶応4年(1868)1月の伏見の戦いを経て、土佐藩迅衝四番隊として東征軍に加わり各地を転戦するがですが、同年8月23日の会津若松城攻撃の際、大手門で戦死しちょります。

30歳。

【 参考・引用 】  『高知県人名事典』 高知新聞社


上田官吉正秋(高知市)

本墓は、現・会津若松市の東明寺の西軍墓地に埋葬されちょります。

会津若松西軍墓地 2 - 故郷遠き会津若松に眠る土佐藩兵49名 2015-10-26  


[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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