島村省吾 - 鷲家口の戦いに敗れ逃れるが捕えられ京都六角獄舎へ

島村省吾墓(室戸市羽根)

[ 高知県室戸市羽根  ]


羽根町を通る国道55号線(徳島~室戸~高知)のバス停「羽根船場」と「羽根大敷前」の丁度中間辺りの海側の国道傍に、大きな島村省吾の墓碑が建っちょります。

島村省吾は天保15年(1845)安芸郡羽根村(現・室戸市)に生まれ、緯皆は正雄、幼名を武之助という。
高知城下へ出て砲術を学び、江戸に遊学し文武を修めたが、特に砲術にゃ優れちょったという。
安政6年(1859)頃から脱国して諸藩の志士と交わり、のち京都に赴き藩吏に登用され国事の周旋を行った。
文久3年(1863)中山忠光を盟主として天誅組が大和に挙兵すると、吉村寅太郎らと参戦しちょります。
鎗一番伍長を務め各所に転戦するも、9月24日の鷲家口の戦いに敗れ、逃れて民家に投宿するも、翌日、紀州藩士・辻四郎三郎らの兵に捕らえられるがです。
その後、京都の六角獄舎に送られ、文久4年(1864)2月16日に斬首されちょります。
享年21歳。

【 参考・引用 】  『高知県人名事典』 高知新聞社


島村省吾墓(室戸市羽根)
この羽根にある墓は、島村省吾の功績を称え、昭和10年(1935)に地元の有志達が建てた招魂墓です。

斬首された日時行年や享年も記録により違いが在りますが、この招魂墓にゃ文久4年(1864)2月18日 22歳と刻まれちょります。


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