鯨坂八幡宮 - 伝承じゃ高吾北の開拓者・別府経基が造営とも

鯨坂八幡宮(佐川町庄田)

[ 高知県高岡郡佐川町庄田 ]


佐川町のJR佐川駅から、更に北に直線距離で約3.5km程の、 庄田の柳瀬川右岸に鎮座しちょります。

旧郷社で、御祭神は応神天皇。

江戸時代にゃ、土佐藩家老・深尾氏知行の佐川領十八ヶ村の総鎮守として、深尾氏の保護を受けちょった神社で、現在の社殿は明治33年(1900)の火災で焼失し、その後再建されちょります。

古い棟札の写しにゃ、永正16年(1519)・永禄2年(1559)や天正8年(1580)の物があり、戦国時代の高吾北の大平氏や片岡氏・中村氏らの関係もあるようながです。

地元じゃ創建は平安時代の1100年頃の古いお宮さんじゃとされちょりますが、由緒は不明じゃそうです。

鯨坂八幡宮(佐川町庄田)

それにしても、海も無い山間の地に如何して海の生き物「鯨」の名かと思うて調べたら、土佐の郷土史『土佐太平記』の元ネタとなった『八幡荘伝承記』なる文書資料があるようです。

ただ現在では偽書じゃないかと粗断定されちょるそうですが、その『八幡荘伝承記』=偽書として書いちゅう本は、現・いの町出身の歴史学者じゃった下村 効(1926-1996)の下記の書籍ながです。

『日本中世の法と経済』 
「第一編 賀茂御祖社領荘園の諸相」 付論 八幡荘伝承記考 
下村 効・著 続群書類従完成会 (平成10年=1998) 


没後の発刊のようです・・・・・。


ただ『八幡荘伝承記』に書かれちゅう記述が全てが造り話じゃありませんき、あくまでも参考に『土佐太平記』から鯨坂八幡宮に関して抜粋しちょきます。

延長元年(923)安芸郡室津の土佐権守・別府康弘の長男・康高は兄弟で土佐を分かち東部を支配し、次男・経基は分家して西部を支配するべく高北の地(現・越知町付近)に本拠を構え、開拓をして別府荘を造った。

開拓が進むと、別府経基は領内鎮護と軍部の守護人として、兄・別府康高の領内に在った鯨坂八幡宮を勧請したいと乞うて、承平2年(932)正月新宮を建て祀り、領内の総鎮守にした。

八幡「鯨坂」の名の由来は下記のようにある。

鯨ハ 大洋キ大海ニ住ム 第一ノ 大魚ナリ
鯨 海水ニ浮ビ出レバ 波坂ヲツクル
シカシテ 海辺ニ祀ル 社ナリ
故ニ 尊上神名ナリ
然ルニ イマハ 別府ノ間ニ 鎮座スレドモ 
ヤハリソノミ 社ノ御名ハ 改メザリナリキ


兄・別府康高の領内に在ったとされる鯨坂八幡宮は今は無く、安芸の別府領の何処にあったかは分からないけんど、夜須の坂のほとりともいうとある。

【 参考・引用 】  『土佐太平記』 明神健太郎・著 (昭和48年)




余談

平安中期に仁淀川町松尾で勢力を持っていた別府経基は高吾北の開拓氏で、藤原純友の乱=天慶の乱(平安時代中期、関東で平将門の乱が起こった時期に、瀬戸内海で海賊鎮圧の任に当たっていた藤原純友が起こした乱。)に加わったともいう。


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