中島與一郎 - 土佐勤王党に62番目に加盟、会津母成峠で戦死

中島與一郎光尹(高知市)

[ 高知県高知県高知市薊野北町  ]


場所は、岡田以蔵のお墓のある東真宗寺山の竹藪の中(行った当時)に、中島與一郎のお墓があります。

中島與一郎光尹(高知市)

中島與一郎は、土佐藩迅衝隊砲隊士として戊辰戦争に従軍し、慶応4年 (1868)8月21日の奥州・母成峠(勝軍山)の戦い(福島県)で、勝軍(将軍)坂にて二十八歳で戦死しちょります。

中島與一郎光尹(高知市)

同国猪苗代静井寺に葬ると刻まれちょり、土佐の墓は遺髪墓です。

数年前、静井寺を参拝したがですが、大雪の日で墓所が雪に埋まり何処に眠っているやも判らず、手を合わせて帰って来た事があります。

中島與一郎 - 戊辰戦争・ 母成峠の戦いで落命 2014-02-22

もとお寺(静井寺)の東方三百米ほどの所に少し坂道になった所があって将軍坂と呼んでいた。
会津鶴ヶ城の出城猪苗代の亀ヶ城(猪苗代城)もほとんど城を挙げて母成峠の戦いに参加していたので、、一敗地にまみれると征討軍の急迫で亀ヶ城に篭って戦ういとまもなく落城となった。
中島は馬上悠々と城下に入る時、この将軍坂でゲリラの銃にたおれたのである。
(中略)
中島與一郎光尹(正面)
慶応四戊辰年八月廿一日(側面)
戦死千勝軍坂二十八歿

【 参考・引用 】  
『志士は今も生きている その墓所をたずねて』
高知県教育委員会・高知県退職公務員連盟編 (昭和57年)より引用抜粋




[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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