真乗寺跡 - 南学中興の祖・谷時中が住職だった寺

真乗寺跡(高知市)

[ 高知県高知市瀬戸西町二丁目 ]


普段、高知市内と長浜・桂浜方面を結ぶ県道34号線・桂浜はりまや線を自転車で通る場合、いっつも東側の歩道を通るがですが、この日は偶々と言うか何かがそうさせたのか、高知市内に戻るのに西側の左車線上を走り寄りよったがです。

そいたら、ちらっと眼の隅に何やら石柱のような物が目に入ったもんですき、自転車を歩道に戻し引き返してみたら、写真の碑が建っちょりました。

立ってる場所が、左隣の家の赤レンガタイルの、でっぱりと同じ程度の奥行きしか在りませんき、石碑じゃと気付く人も少ないんじゃないかと思いますが・・・。

真乗寺跡 南学中興の祖・谷時中が住持であったお寺



真乗寺跡(高知市)

谷時中は、慶長3年(1598)に安芸郡甲浦(現・東洋町)の浄土真宗・真乗寺の僧・宗慶の子に生まれ、後に、吾川郡瀬戸村(現・高知市)の真常寺に移り、時中もその跡を継ぎ住職になっちょります。

時中は号で、僧名は慈仲。

南学派朱子学の祖・南村梅軒に学んだ雪蹊寺の天室から儒学を学び、比叡山でも修行しちょります。

時中は、四書(儒教の経書のうち『大学』『中庸』『論語』『孟子』の総称)等の経典を通読し、朱子学本来の学問的要素を強調しつつも四書を重んじ、時中によって仏教から独立した土佐南学へと発展させて行くがです。

弟子には、野中兼山、小倉三省、山崎闇斎がおる。

時中は、土佐藩第2代藩主・山内忠義から再三仕官を勧められたけんど、招きに応じる事はなかったと言う。

【 参考・引用 】  『高知県人名事典』 高知新聞社


土佐藩第2代藩主・山内忠義が、在る時、瀬戸巡行をし城下に帰りよったら日が暮れて来たもんじゃき、早く帰ろうと真常寺境内を通過しようとしたそうながです。

それを見た時中は、「ここは寺域である。官道を通られたい。」と諌めたという話があるがです。

今は県道34号線が通っちょりますが、当時は、この周囲が寺域じゃったがですねー。

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南学発祥の地 2009-10-10
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