三原兎弥太正矩 - 土佐勤王党に161番目に加盟、会津若松で戦死

三原兎弥太正矩(高知市)

[ 高知県高知市・皿ヶ峰南丘西側  ]


場所は、前々回の記事、竹本小弥儀さんのお墓の近くになりますが、こちらは南嶺への登山道の直ぐ脇にあり、傍に立派な説明板がありますき、見かけた方もありますろー。

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三原兎弥太正矩(高知市)

三原兎弥太(みはら とやた)は弘化元年(1844)に生まれちょります。

剣を谷恒直に学び、土佐勤王党にゃ161番目の血盟同志として加盟しちょります。

文久2年(1862)大阪住吉の陣営に勤め、8月土佐藩第16代藩主・山内豊範に従い上京。

また勅使・三条実美の東下の際にも随行し、翌文久3年(1863)藩主ト共に土佐に帰国し、慶応元年(1865)剣術取立役となり、後、教導になっちょります。

慶応4年(1868)1月密事用をもって予州松山へ、4月帰国後、小目付加役となり再び上京。

戊辰戦争が始まると、東征の軍に迅衝隊小軍監として従軍しちょりますが、明治元年(1868)8月23日の会津若松城攻めの際に負傷し、25日亡くなっちょります。

25歳。

谷干城の撰文が墓碑に刻まれちょります。

【 参考・引用 】  『高知県人名事典』 高知新聞社



三原兎弥太正矩(高知市)

本墓は、現・会津若松市の東明寺の西軍墓地に埋葬されちょります。

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[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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