徳善天皇古墳 - 池田王に関係あるのか?字の「天皇」が意味深

徳善天皇古墳(香南市香我美町徳王子)

[ 高知県香南市香我美町徳王子  ]


切っ掛けは、ちょっと古い香南市の地図を眺めよったら徳王子に字が「天皇」と記されちょり、他の地図などには「徳善天皇古墳」とか「徳善天王古墳」の記載があったがです。

単純に「天王・天皇」とかと言う名前が気になって、何じゃろーと思い、ちょっと見に行ったがです。

古墳が在ったとされる周辺を散策したがですが、何ら確認できませんでしたが、地図では如何やら道路を挟んでビニールハウスの北側の丘陵のようでした。

『高知県の地名』で調べたら、書籍の方には花散郷古墳は徳善天王古墳(徳善天皇古墳)と呼ばれちょったとありました。

花散郷古墳

西流する香宗川の水田地帯を一望できる徳王子の丘陵の標高二十メートルの地にあったが現在は消滅。
円墳と推定され、徳善天王古墳ともよばれていた。
江戸時代末期、六右衛門なる人物が宅地としてこの地を開いた折、小丘から高さ四五センチの壺が出土した。
壺の周辺は朱・木炭で囲われ、その外側は粘土で包まれていたという。
この時出土した勾玉・管玉・円鏡などの一部は現在若一王子宮や民家に保管されているが大半は散逸した。
保管されている勾玉や管玉は古墳時代中期のもので、鏡も当時のものと推定されている。
勾玉などの入っていた壺は桃山時代の古備前の壺とされる。
これらから、少なくとも桃山時代から江戸時代前半期に一度発掘され、古備前の壺に出土品を一括して収め、円鏡で蓋をして再び小丘に埋めたと推定される。
当古墳に関しては明治初年刊の「香美郡町村誌」にみえるのみである。

【 参考・引用 】  
『日本歴史地名大系40 高知県の地名』 平凡社(1983)


更に、ネットで調べよったら「新撰陵墓志(仮)」なるサイトの高知県のページに「出典」は不明じゃけんど、下記のような記述があった。

[天武天皇皇孫池田王] 
香南市香我美町徳王子(字花散里)1365番地2 
徳善天皇古墳(円墳)


この池田王と言うのは、皇統譜で定める代数では第40代・天武天皇の皇子・舎人皇子(親王)の第4皇子ながです。

更に、池田王の祖父になる天武天皇は、舒明天皇と皇極天皇(斉明天皇)の子として生まれ、中大兄皇子(天智天皇)にとっては両親を同じくする弟にもあたる人物ながです。

皇極天皇(斉明天皇)は土佐にゃ大いに関わりがあるかも知れん、土佐之国二宮とも言われる朝倉神社の御祭神・天豊財重日足姫天皇(斉明天皇)ながですよ。

土佐国二宮 - 朝倉神社 2008-11-19
鵜来巣山 - 斉明天皇の時代にゃ、すぐ近くまで海じゃった 2012-12-10

土佐国二宮・朝倉神社から、南に約1.5Kmの所にある鵜来巣山は斉明天皇の陵墓と言う説がある。

余談じゃけんど、朝倉神社の御神幸(おなばれ)は、斉明天皇の陵墓じゃと言うゃ鵜来巣山の傍を通って、斉明天皇伝説にある張規(現・針木)の御旅所までながです。

朝倉神社・御旅所 - 秋季祭礼の御神幸の地 2013-12-09

話はちっくとそれたけんど、単純に考えて曽祖母(斉明天皇)の眠る土佐に、曾孫の池田王の墓があっても、別段おかしくはないよねー。

あくまでもオンちゃんの、勝手な想像で根拠はありませんが・・・・・。

池田王(いけだおう、生没年不詳)は、奈良時代の皇族。天武天皇の孫。
知太政官事・舎人親王の四男。
官位は三品・糾政尹。

天平7年(735年)二世王の蔭位により無位から従四位下に直叙される。

天平勝宝6年(754年)正月に19年ぶりに昇叙され従四位上となる。
のち畿内巡察使・弾正尹を歴任。
天平勝宝9年(757年)年4月皇太子・道祖王を廃すにあたり、摂津大夫・文室珍努と左大弁・大伴古麻呂から代わりの皇太子に推挙される。
しかし、孝謙天皇から孝行に欠けると評されて退けられ、弟の大炊王(のち淳仁天皇)が皇太子に冊立された。
同年正四位上・刑部卿に叙任。

天平宝字2年(758年)淳仁天皇の即位に伴って従三位に叙せられる。
翌天平宝字3年(759年)淳仁天皇が舎人親王に対して崇道盡敬皇帝の尊号を追贈した際に、池田王は天皇の兄弟として親王宣下を受けて三品に叙せられ、まもなく糺政尹に任ぜられる。
天平宝字7年(762年)母親が橘奈良麻呂の乱に関与した者の一族であったことからかつて皇族籍から削除していた自らの子女5名について、御長真人姓の下賜を上表し許されている。
天平宝字9年(764年)に発生した藤原仲麻呂の乱では、藤原仲麻呂とは行動を共にしなかったものの、事前に馬を集めて仲麻呂と謀反の相談をしていたとして、親王から諸王に戻され土佐国への流罪となった。

『続日本紀』による。
天平宝字8年(764年) 10月9日:諸王へ戻される、土佐国へ流罪

【 参考・引用 】  池田王 - Wikipedia


最初は単純に字の「天皇」が気になっただけじゃった」けんど、もしかしたら「池田王」の墓じゃったかもしれん徳善天皇古墳ながですが、 高知県埋蔵文化財センターの調査報告書『十万遺跡Ⅱ』の中には「古墳時代の遺跡としては、5世紀の徳善天皇古墳が存在しており、勾玉・管玉・古鏡の出土があったものとされている。」とあり、ちょっと時代が合わん。

けんど、墓の主の人骨は無く、偶々出土した遺物が5世紀頃の物じゃったと言うだけ。

8世紀頃の池田王の時代まで受け継がれ大事にしちょった物なら、故人の所有物として一緒に埋葬された可能性は零ではないのではと、タラレバの想像も・・・・・。

香南市香我美町に徳善天王古墳と呼ばれる古墳が存在したことが江戸時代の記録より知られている(岡本1968[高知県の考古学者・岡本健児先生の事])。
この古墳からは勾玉・管玉・銅鏡・土器が出土したとされるが、現在に伝わっておらず、墳丘・埋葬施設ともに不明なまま失われている。
古墳の存否すら不明な古墳であり、遺物の内容も前期に特定できるものではない。
この古墳の位置付けは困難である。
また前期古墳とするならば高知平野において唯一の存在であって、幡多の前期古墳から見れば地理的に孤立した存在である。
後世の交通路からも外れており、その存在した背景が推測しかねるところである。
このように信頼性を欠く資料であるので考察からは省くことが望ましい。

このように南四国において古墳が初めて出現するのは前期後半であり、幡多地域に集中する。
高知平野においては、徳善天王古墳を除くと前期に古墳は築造されないという特徴を持つ。

【 参考・引用 】  
古墳時代政権交替論の考古学的再検討 - 大阪大学リポジトリ p34


「古墳の在った場所は、既に宅地化して破壊されちょるき、古墳自体が信頼性を欠く資料」と言う事のようですけんど。

昔の人が、訳があるから態々地名に「天皇」と言う字名を残しちょるがですき、何か意味があるがよ。

徳王子(とくおうじ)
香南市香我美
徳善村と王子村が明治の合併で徳王子村。
徳善は有力者の名字、王子は池田王のゆかり?
平成21年7月21日

【 参考・引用 】  
土佐地名往来(高知新聞夕刊連載記事) 四万十町地名辞典資料



その合併前の王子村について

村名は『続日本記』にみえる。
淳仁天皇の弟池田親王が土佐に配流されたことにちなみ、その折池田親王が住んだからという。

【 参考・引用 】  香美郡町村史


もしかしたら、発掘したら、不都合な遺物が出土するかも・・・・・(笑)

ただただ、惜しいねー・・・・・。


【 最後に 】

年内最後の記事になります。

2012年に、母が発病し、入院の末に他界。
間もなく、父の介護のために介護離職。
そして、その父も昨年、他界し一周忌を終えました。

しかし、この5年程ストレス性症状に悩まされ未だに感知する事も無く、時々、突発的に憂欝な気分に陥ったりする日もありますが、それでも慌ただしく数年が過ぎ去り、やっと解放されたと言うか、ホットしたと言うのが本心です。

兎に角、一年が終わります。
来年は如何なるやも知れず、先の事は判りませんが、この一年間の御愛顧を感謝いたします。

ありがとうございました。


MapFan地図へ(この辺り、あくまでも参考)
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