飛鳥神社の地震碑 - 被害を受けた里人が後世の人々に思いを込めて

飛鳥神社の地震の碑(香南市香我美町岸本)

[ 高知県香南市香我美町岸本  ]


香南市香我美町岸本にある飛鳥神社の北東の隅の玉垣の内側に、飛鳥神社の地震の碑と言う大きな石碑が建っちょります。

これは安政元年(1854)に発生し大きな被害をもたらした、安政の大地震(寅の大変)の教訓を後世に残した地震の碑で、表裏全体に刻まれちょります。

町指定史跡 安政地震の碑

安政元年(1854)の大地震ありさまを書きしるして、人々に地震に備える心構がまえを忠告した碑である。
安政元年11月の朝常より大きな地震あり、潮が二十メートルも引いて干上がった手結港で鰻を沢山採った。
翌日、大地震で家も塀も崩れ、人々は何日も徳王寺の山で暮らした等々の記事あり。

昭和五十三年四月一日指定
香我美町教育委員会

【 参考・引用 】  説明板より


飛鳥神社の地震の碑(香南市香我美町岸本)

碑の題字には「徴毖」とある。

「徴」は、こりて。

「毖」は訓読みで「つつしむ=慎む」と読みますき、今回の(安政地震と大津波)災害に徴(こりて)、同じような災害が何時起こってもいいように、普段から災害の起こる事を忘れないように振舞い、過ちを犯さないように気をつけよう」と言うような意味でしょうか。

碑文の書き出しはに「諺に由断大敵とハ深意あることにて 仮初ニおもふへからす(諺にある油断大敵とは深い意味があり、いささかも疎かに思ってはいけない)」とある。

地震は安政元寅年十一月で、岸本の浦塩のさし引き十間余(1間≒1.8m)も潮が引いて鰻を沢山採った。
その日は、2回程小さい地震があったけんど、それほど驚く人はいなかった。


地震=津波の意識は薄かったのか、鰻(ウナギ)を獲ってたと言うから、ちょっと驚きですが・・・・・。

しかし翌日の地震には驚いたようです。

翌五日・・・大きな振動(地震)三度起こった。
大きな雷鳴のような音がドロドロと響くと、大きく大地が揺れたので、これは如何した事じゃろーかと人々は驚くと同時に、家や蔵や高塀や道具類等のあらゆる物が崩れたり壊れる音が凄まじく、逃げるにも身体が思うようにならず、這いずって家の外に出た。


大きな揺れで立っていられなく、這って避難したと言う事です。

現在じゃたら無理じゃろーねー、多分、床一面にゃ砕けたガラスや瀬戸物などが散乱しちょるでしょうから・・・・・。

「津波打来りて」

そこへ津波が襲って来たとある。、


此処岸本では徳善町の北の田中(田んぼ)まで、赤岡では西浜の並松まで、吉原では庄屋の門まで津波が来た。
又、川(香宗川)を遡上した津波は、赤岡神輿休の辺り(場所はちょっと不明ですが)まで及び、古川堤や夜須の堤も津波で決壊して夜須の家々は多くが流失した。


そんな中、人々は互いに協力して年寄りを助け、幼児を抱えてながら、王子の須留田神社か、平井の大龍寺の山へと逃れて、命が助かったようじゃけんど、他の場所では大きな被害があったとある。

この時、国中(土佐一円)の官舎や民屋の多くが倒壊し、高知城下や幡多中村では火災が発生して一帯は焼け、死傷者が数百人に及んだ・・・・。


他の所では多くの死傷者が出たのに、此処では誰一人被害が無かったと続く。

幸甚なるかな此地ハ(幸せなことに当地)とあり、神さんの御加護によって一人の怪我もなく、避難先で小屋を建て過ごし、日が経過するにつれて余震も治まって来たので、惠あまねき大御代の忝を悦つ(神さんの恵みじゃと感謝して喜んだ)、家に帰った。


家に帰ったと言っても、津波で家は流されちゅう人もおったろうから、此処から本格的な復興が始まったがでしょうねー。

飛鳥神社の地震の碑(香南市香我美町岸本)

更に、教訓は続いちょります。

(抑宝永四年の大変とありますき)148年前の富士山が噴火した宝永4年(1707)の宝永の大地震の時にも大津波が来たから、同じような周期で大地震と大津波がまた来ると言う人もおる。
世変(災害)は何時起こるかも判らんから、いざと言う時の備えと心構えをしておれば、慌てたりする事はない。


碑文の最後の方には下記の用にある。

今の人々寶永の変を昔はなしの如くおもひて既に 油断の大敵にあひぬさるによりて
後世の人々今の変事を又昔咄の如くおもひて油断の患なからしめんためことのよしを
石ニゑりて此御社と共に動きなく萬歳に後に傳へんとふるひおこしたるハ里人が誠心のめてたき限りにそありける


今の人は宝永地震で津波が来た事を、昔話のように思っていて、油断をしちょった。
そこで、後世の人達に今回の大災害を、昔話じゃと思わんように、石に刻んでこの神社(飛鳥神社)と共に、後世に伝えたい里人の思いが込められていると・・・・・。

けんど、この前の2016年11月22日8時過ぎに起こった東北地方太平洋沖地震の余震の際に津波警報が出ているにも関わらず、海岸傍にいる人もいたし、川を遡上する津波を横目に通勤や、散歩をする人の姿が映像で流れちょった。

見よって「おいおい、何のしよらー(何をしゆう)。早よう(早く)逃げんと・・・・」と思うような映像でしたが・・・・・。

余計なお世話かねー。

咽元過ぎればの諺もあるし、個々の「これぐらいの揺れや津波高さじゃ」と言う間違った憶測が、大きな人的被害にも繋がりかねません。

もし、そう言う不心得者の方々に被害が出ていたら、「警報が無かった」とか「「防災無線が判らんかった」と言うように、本来なら自己責任を、他責に転換するような風潮になったやも知れませんぜよ・・・・・。

飛鳥神社の地震の碑(香南市香我美町岸本)

この碑の撰文を書いた徳永千規さんは、たまたま高見(現・赤岡町)の官舎で役人の仕事をしちょった時に震災に遭ったということで、人々から、その時の状況を書いて欲しいと頼まれたと、締めくくっています。

飛鳥神社の地震の碑(香南市香我美町岸本)

碑は安政5年(1858)に建てられちょります。

安政五年戊午季秋穀旦
徳永千規 誌
前田有稔 書
澤村虎次 刻


徳永千規 - 門下に武市瑞山・大石弥太郎・坂崎紫瀾・西山志澄がいる 2011-11-18

飛鳥神社(香南市香我美町岸本)

御祭神は事代主命。

勧請年度や由緒等は不詳。

飛鳥神社(香南市香我美町岸本)

狛犬は、地震の碑と同じ年に奉納されちょります。

飛鳥神社(香南市香我美町岸本)

船型の手水石がありました。


MapFan地図へ
関連記事

  



0 Comments

Leave a comment