桑名丹後守重定 - 土佐桑名氏始祖、元親に仕え三家老の一に列する

桑名土居付近(南国市岡豊)

[ 高知県南国市岡豊八幡  ]


岡豊城址の南麓のこの辺りが、桑名丹後守重定・桑名藤蔵人兄弟の土居のあった辺りのようです。

戦国時代の初期(応仁の頃)、桑名丹後守が土佐に来たのが始まりで、長宗我部元親に仕え土佐平定にも功績を立てて、桑名・久武・中内の長宗我部三家老の一に列したとされちょります。

遠祖は伊勢平氏の庶流にあたり、もとは伊勢国桑名郡桑名郷が出自のようで、地名から桑名姓をを名乗ったと言う。

永禄年間、安芸国虎との戦いの武功で、恩賞として安芸郡奈半利城を賜っちょり、阿波侵攻にも出陣しちょります。

奈半利城跡 - 安芸国虎の配下じゃった姫倉右衛門尉が城主 2014-06-27

桑名丹後守重定の弟・桑名藤蔵人の子で、従兄弟に桑名親光(太郎左衛門)、桑名平左衛門、桑名親勝(将監)がいる

安芸山城守国虎は、一度、長宗我部元親に降参を申し出ていたのに、その約束を違えた事で、永禄13年秋、安芸国虎を攻めるがです。

その結果、安芸国虎は自刃し、安芸城は落ちるがです。

この戦いで、安芸氏の支城・奈半利城なども尽く降参しちょります。

戦後、功により、奈半利城は桑名丹後守重定、安芸城は桑名藤蔵人が城代を勤める事になるがです。

安芸城 - 土佐の七守護の一人、安芸国虎の居城 2011-09-08

【 参考・引用 】  日本合戦騒動叢書 『元親記』 泉 淳・著 平成6年




■ 桑名太郎左衛門 

桑名丹後守の子。
天正年間初期、京で小笠原流礼法を学ぶ。
土佐に戻り、長宗我部家中に小笠原流礼法を教授した。
伊予北ノ川合戦、阿波中富川合戦、讃岐引田合戦で戦功を挙げるも、天正14年戸次川合戦で討死。
 
■ 桑名平右衛門

桑名丹後守の子。 
 
■ 桑名将監親勝

桑名丹後守の子。
天正年間初期、野根城守将。
天正14年、戸次川合戦参戦。
長宗我部元親の命により、豊臣秀吉に合戦の様相を報告するも、朝鮮征伐にの際、朝鮮熊川で討死。
 
■ 桑名弥次兵衛吉成

元親、盛親にも仕える。
下記記事に、桑名弥次兵衛に記載。

比江山城跡 - 長宗我部国親の弟・ 国康の二男・比江山掃部助親興 2016-09-25


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