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鴻ノ森城跡 - 長宗我部軍に水源を断たれ白米伝説が残る

鴻ノ森城跡(高知市)

[ 高知県高知市福井字高森 ]


車では途中までは行けますが、車止めがある所から先はミカン畑になっちょり、その間を歩道が山頂まで続いちょります。

鴻ノ森城跡(高知市)

詰段は平坦で案内板が設置されちょります。

高ノ森(鴻ノ森)城由来 

『戦国の土佐は、安芸、山田、長宗我部、本山、吉良、大平、津野の七守護に分され、幡多は一条家の庄園となっていました。
その中で最強の本山氏は土、長、吾、三郡を占有しており、高ノ森には名将高ノ森出雲守を配し、長宗我部氏に備えました。
両軍の間の風雲急を告げる永禄五年(千五百六十年)、潮江城を攻略した長宗我部の大軍は、いよいよこの城に迫ってきました。
寄せ手は、福井円行寺の水源を奪って水攻めの策に出ました。
一方高ノ森城では、馬に白米を振りまき、あたかもって水で洗うが如くに見せかけ、敵の油断をついて打って出ました。
しかし、篭城に疲れた城兵に勝ち目はなく、守将出雲守は櫓の上で割腹し、燃え盛る火中に身を投じました。
城内の婦女子もみな武器を取って戦い、からめ手の急坂では、城主の奥方が長持にはいって火焔の中、敵軍に突入して果てました。
城の裏手の小径に、「オカマスズシ」といわれ、恨みのんで死んだ人々の魂が、毎年お盆の夜は鬼火となって燃え出たといわれます。
この城跡に残る土塁は、当時を偲ぶ貴重な遺跡です。
大切に保存し後世に残し伝えたいものです。
なお、文献によると、城跡の名称の文字が、鴻ノ森と高ノ森の二説あるため、土地台帳の「高ノ森」としるしました。

昭和六十年三月吉日(平成十六年四月吉日補修)
千回登山達成記念 山と野原の会 之建



鴻ノ森城跡(高知市)

神森城

城主、鴻森出雲。
永禄三年(一五六〇)十月六日、吉成三郎を戀森の守兵とす。
按ずるに、戀森は蓋し神森の古名。
四年頃、元親長宗我部右兵衛、福留隼人、中島大和等をして神森を攻撃せしむ。
城兵険に嬰(めぐり)て堅く守る、秦軍(長宗我部軍)之を囲む、久しきに弥(わたり)て而して抜く能ばず、死傷過当、隼人曰、吾れ地勢を察するに、高嶺兀立削壁数百尋、焉(いずく)んぞ水あるを得ん、西方稍々(やや)平夷(たいら)にして芝牧(現・柴巻)に連る、其の間渓あり出て汲む無きを得ん哉、今汲路を絶て遠く囲み、久しきを持せば、則一士を殺さずして城自から陥らん。
諸将之れに従ひ、兵若干を遣し汲夫を防がしむ。
而して五六日を経、城中水尽きて大に窘窮(苦しくつき詰まる)す。
出雲薄暮に乗じ馬を西郭上に出し、精米を注ぎ浴する者の如くす。
秦軍其の譌(いつわり)を察せず、守兵を撤去す。

出雲悦んで将士と宴す、會々(そのおり)福井の人僅に五人密かに険を犯し城に攀じ、火を放ちて東に叫び西に噪(さわ)ぐ。
城兵為以へり秦軍逼(せま)ると、狼狽して潰れ逃る。
出雲の妻某氏驚き走て、深谷に落ちて死す。
出雲城の守るべからざるを知り、将(まさ)に自栽せんとす。
敵逼(せま)り来る、出雲其の二人を斬る、辟易して走る、出雲間を得て乃ち自殺す。 
森城曰、神森の南麓に大屋敷と称する処あり、一小龕を建て出雲の妻某氏を祭れり、之を落神と云ふ。 
高崎勝之進曰、里人之を小チ神と号す。
小チ者河野姓也、又曰、出雲は豫州(伊予)河野氏也。 
厳水曰、出雲落城を以て吉成二郎守兵前の事として、其の年を謂はず、記事の錯乱するを疑ふ、今事跡の順序に拠り、之を倒置して徴証を俟つ。
永禄四年頃、元親瀧本の僧非有(わるいことがある)を以て神森の城監とす。

森城按ずるに、本條を以て永禄三年の事とする者あり、然れども出雲の落城を四年とすれば、本條も亦落城後にあるべし、暫く四年に係げ明証を俟(まつ)つ。

【 参考・引用 】  『土佐国古城略史・全』 宮地森城・著(昭和10年)


この戦いの時、福留隼人が「地形を見ると何処ぞに水源がある。西方は柴巻に連なっているから、渓流から水を汲んでいるかも知れん。今、水を断ったら城は落ちる」として、水路を塞ぐ。

そして、城中は水に困って来て、鴻森出雲は夕暮れ時に、あたかも水は充分あると見せかけるため、馬の身体に白米を撒いて水で洗っているように信じ込ませた。

それを見た長宗我部軍が兵を引いたと喜んで宴を催した所を、僅か五人の敵兵が忍びこんで城に火を放ち、これに狼狽して逃げ出した。

鴻森出雲の妻は驚ろいて走て逃げたため、誤って谷底に落ちて死に、鴻森出雲自身も迫りくる敵二人を斬るもこれまでと自殺したと言うような「白米伝説」ながです。

この鴻ノ森城の水が柴巻の方から流れ来ちょると言うのは、柴巻の田中良助邸の近くの説明板にも記されちょりました。

鴻ノ森城跡(高知市)

柴巻と坂本龍馬

柴巻のかなり広い範囲の山林を坂本龍馬の先祖が、かつて所有していたので「坂本山」と呼んでいた。 
(中略)
八畳岩から真正面に「城米城」の異名を鸛(こう)の森城跡を望むことができ、しかも八畳岩の北側には城への水源の谷川があって、城の攻防に重要なポイントになった鴻の森城の隠し水の伝承の場所である。
柴巻は鏡村や土佐山村への道筋にもあたるので、あちこちに清水の流れ出ている場所では、往来した人びとがそこで休み、水を飲んでいた。
なかでも道沿いにある「泉元の水」は、水量も豊かで、休憩場に利用されていたといわれている。 
坂本龍馬も、この道筋をよく利用していたので、この水を好んで飲用していたにちがいない。

【 参考・引用 】   「坂本龍馬と田中良助の柴巻」説明板より


鴻ノ森城跡(高知市)

詰段から南面は眺望がひらけちょります。

鴻ノ森城跡(高知市)

詰段の頂上部に、一等三角点の標石がありました。

北緯 33度34分47.22秒
東経 133度29分48.03秒
標高:299.5m


一等三角点の位置は(地図上から)多少誤差はありますが、上記の地点になります。

鴻ノ森城跡(高知市)

八頭神社・中津神社・石南神社 - 戦で亡くなった戦国武将を祀る 2016-10-09
中神社 - 神森城主・鴻森出雲守の家臣・中 内記を祀る 2016-08-24


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- 2 Comments

オンチャン(とさっぽ)  

Re: タイトルなし

そうですよ。

2016/12/23 (Fri) 22:58 | REPLY |   

高知歴史500人委員会  

はじめまして、活動は一人でされてるんですか?

2016/12/23 (Fri) 20:31 | REPLY |   

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