比江山神社 - 比江山掃部助親興が埋葬されたのは升形周辺か

比江山神社(高知市升形・出雲神社)

[ 高知県高知市升形・出雲神社  ]


今回も、前回の記事にも被るがですが、同じ出雲神社の境内社に比江山神社があるがです。

吉野朝廷時代古戦場跡 - 元の碑の位置は由比直枝屋敷傍・・・ 2016-11-10

南国市の、比江山城址にある比江山神社の説明は下記のようにあった

比江山城跡 - 長宗我部国親の弟・ 国康の二男・比江山掃部助親興 2016-09-25


比江山神社

比江山掃部助親興公夫婦並にご両児を奉祀する。
親興は長宗我部家の世継ぎに関する意見が用いられず反対派のざん言にかかり大高坂西の廊で天正十六年九月切腹し高知市升形に祭られるや(出雲神社境内)
長男は改田へ逃れる道中で切られ、夫人と次男は改田の善勝寺で自害したといわれる。

【 参考・引用 】  比江山城址にある説明板より


比江山掃部介妻子の墓 - 元親の家督相続問題に連座して殺害される 2016-06-24

ここ出雲神社の境内社・比江山神社に比江山掃部助親興公はお祀りされちょるようにありましたが、出雲神社の説明板にゃ「御祭神 比江山掃部助親興乃従徒六臣」とだけある。

本来は、比江山掃部助親興と従徒六臣を含めて「七人みさき」の伝承にもなっちょるはずですが・・・・・。

誤記かな?


実は、前回の記事にも書いた『土佐古城略史・全』の大高坂城の記述の続きに、下記のような一文があるがです。

吉野朝廷時代古戦場跡 - 元の碑の位置は由比直枝屋敷傍・・・ 2016-11-10

或人曰、大高坂氏の古墳は、今の舛形松下邸内にあり。
筆者按ずるに、松下邸は本町一丁弘小路東の堤防の内にあり。

旧藩中は三段余の邸地なり、今は数区に分てり。
又曰、大高坂松王丸以下同氏の墓上文の註に詳なり。 

或曰、松下邸内の古墳は、比江山掃部の墓なりと。
筆者松下綱武と旧交あり、嘗て同氏の門に出入す。
未だ掃部の墓あるを聞かず。
同邸南端の大堤上に二三の古墳あり、蓋し之を指して掃部の墓とす、然れども碑面風雨の噛むところとなり、文字磨滅して分明ならず、未だ 遽に誰の墓たるを確信し難し。 

【 参考・引用 】  
土佐古城略史 巻之四 土佐郡之部
大高坂城
『土佐古城略史・全』 宮地森城・著(昭和10年)


簡単に書くと

ある人が言うには、舛形の松下邸内にあるのが大高坂氏の古墳だと。・・・・
あるいは、松下邸の南端の大堤上にある2、3の古墳を比江山掃部助親興の墓だと言う人もいるが、長年の風雨にさらされて墓碑の文字は判読できないので、誰のお墓かなのかは判らない。・・・・・ 


と言う事は、比江山掃部助親興が埋葬されたのは、この辺りだと言う伝承はあったんでしょうねー。

じゃーその伝承のある「松下邸」の場所をと調べて見たら、『高知城下町読本 改訂本』p31の高知廓中図(幕末1860年頃)に「三百石 松下多仲」と言う名があった。

比江山神社(高知市升形・出雲神社)

現在の地図に当時の大まかな位置関係を重ねて見ました。

「三百石 松下多仲」の屋敷の位置も升形の北側で堤の東側になっちょりますき、昭和10年に宮地森城が「筆者松下綱武と旧交あり」と書いてある、松下綱武氏は松下多仲の子孫じゃないかと思われます。

比江山神社(高知市升形・出雲神社)

今回は、当方の憶測で場所を探してみたがですき・・・・・。


因みに、現在、比江山神社がある出雲大社は明治15年(1882)にこの地に御分霊されたそうです。

四国一円を治め、出雲の本社に最も近い場所じゃそうですよ。


MapFan地図へ
関連記事

  



0 Comments

Leave a comment