伝・武田勝頼墓 2 - 土佐に逃れて来て大崎玄蕃と名を変えたと伝わる

武田勝頼墓=大崎玄蕃墓(仁淀川町)

[ 高知県吾川郡仁淀川町大崎  ]


高知市内から西に直線距離で約34Kmの愛媛県との県境の町・仁淀川町にも、大崎玄蕃と名を変えた武田勝頼の墓と伝わる鳴玉神社があるがです。

こんまい祠があり、傍に武田勝頼土佐の会が建てた「武田勝頼公墓所 変名 大崎玄蕃」と書かれれた看板があるがです。

武田勝頼・三枝夫人の墓所

祭神 
玄蕃頭比古神(武田勝頼=大崎玄蕃)
美津岐大神(三枝夫人)

由緒

甲斐武田家、第二十代当主である武田勝頼(変名大崎玄蕃)と三枝夫人(変名美津岐夫人)夫婦の埋葬された墓の前に建立される鳴玉神社です。
勝頼は慶長十四年(1609)年八月二十五日六十四歳で亡くなります。
三枝夫人は元和二(1616)年十月十九日に亡くなって共に祀られています。
三枝夫人は歴史上出てこない夫人で、実子の正晴と共に落ち延びた事が系図に書かれていて歴史の大きな謎です。
大崎川井土居屋敷の柿木元に葬られた事が系図に記されております。
四百年以上の時を経た現在、この柿の木は赤い実を稔らせます。

勝頼の戒名 成福院殿榮秋道勝大居士   
夫人の戒名 恵照院殿清月宗光大姉

これらは系図に記されており、また長宗我部地検帳からも土居屋敷の場所が確認でき、土佐へ来た武田勝頼の伝承を物語る上でも重要な史跡です。
毎年、大崎八幡宮の秋祭り(十一月十五日)と玄蕃祭り(旧暦八月二十八日)には御神幸が行われ、ご神体が御輿に運ばれてきて祭祀が行われます。

設置者 武田勝頼土佐の会

【 参考・引用 】  説明板より


武田勝頼墓=大崎玄蕃墓(仁淀川町)

鳴玉神社の祠背後にあるのが、武田勝頼と三枝夫人と伝わる墓所です。

武田勝頼墓=大崎玄蕃墓(仁淀川町)

武田勝頼とされる御墓の石仏には「大崎玄蕃」と刻まれちょります。

ここが、前記事「伝・武田勝頼墓 1」で記載した『土佐伝説全集』 にもある、大崎の地ながです。

伝・武田勝頼墓 1 - 天目山の一戦に敗れ土佐に逃れて来たと伝承あり 2016-10-31|

「大崎玄蕃實は武田勝頼といふ」

前略・・・・・
武田勝頼は天目山の一戦に大敗し 、近臣と共に自殺せんとした處(ところ)、この時高坂某といふ武将が之を諌め自ら武田勝頼と稱(しょう)して敵中に踊り入りて華々しく身代り戦死を遂げた。
勝頼はそこで側近の従者を召し連れ、、甲斐の国を逃れて諸所方々を潜行して、秘かに武運の回復を計りましたが、運未だ至らず事志と違ひ放浪漂泊すること数年にして遂に土佐の国に来り、山田城主山田丹波守を頼って、この大崎の地に移住し自ら大崎玄蕃と稱(しょう)し、大に兵を養い遂に吾川高岡の北部を領有して大崎城主となった。
山田丹波守は玄蕃の名声日に高くその勢力侮(あなど)るべからざるを見て、之を妬(ねた)むと同時に後日の災難を怖れて遂に殺害せんと企て、ある日彼を新改村甫木山の猪狩に誘うて、矢立てずの杜といふ所で、臣下に命じて銃殺したと云ひ伝へます。
現に、大法寺峯といふ所に武田勝頼墓といふのが遺て居る。
後略・・・・・

【 参考・引用 】 
『土佐伝説全集』 松山秀美、寺石正路・著 昭和23年(1948)


因みに、鳴玉神社をネットで調べよったら、「武田家の史跡探訪」と言うHPがあり、鳴玉神社も記載されちょりました。


『大崎村神社明細帳』より

鳴玉神社

祭神 玄蕃頭比古神
由緒 勧進年月縁起沿革未詳

一書云大崎城主大崎玄蕃と云有、其居城跡に八幡宮ノ杜アリテ、木偶子種類社間ニ納ム、希世ノ古物也。
里諺ニ大崎玄蕃ハ武田勝頼ノ変名也。
勝頼ノ墓モアリ、又木偶子ハ勝頼自ラ携ヘ来ルト云々。

と見えるが、勝頼は「日本史」によると天文15(1546)年生まれ、天正10(1582)年、織田信長に攻められ天目山麓の田野で自刃したことになっている。
もし彼が逃れて大崎に来たとすれば、大崎名検地のあった天正18(1590)年11月には44歳であり、ちょうど年代は符合する。
しかし西川井ノ村で単にニ筆の田畑、三反七代二分の登録人であって居屋敷もなく知行権のない玄蕃が、大崎城を築いたり、八幡宮を建立したり、また大崎名の支配者であったりすることができるであろうか。
地検帳を見ると、当時大崎名土居村には土居前に、一町歩を超える屋敷地を名請し、新田八幡領三反余を管理する「彦左衛門尉」のいることを見れば、武田勝頼の生まれる以前に、当地方は片岡氏の所領となり、八幡宮も建立されていたことが立証される。
もし大崎玄蕃が大崎の土豪として実在し大崎城を築いたとすれば、相当の年代を過去へもどす必要があり、大藪のひょうたん桜を玄蕃が植えたという伝説についても同様のことがいえるのである。

(吾川村史より)


と記載されちょりました。

また、ネットには下記のようなHPも在りましたので、御参考にまで。

あがわ村の文化歴史
大崎玄蕃と武田勝頼にまつわる昔話と、落人に関する話


いろんな関係書物も出ちょりますき、読みよったらて「比定」も「肯定」も出来ますが、此処、仁淀川町では有志達の方々が、武田勝頼伝承を「町おこし」に繋げようと歴史ロマンを発信しちょります。

武田勝頼の会
武田勝頼土佐の会


さすがに、自転車で往復約100Kmの道のりは遠かったし、アップダウンもあるのでキツカッタ。

実は、この大崎から更に川沿いに上って往復約役30Kmの所に、もう一か所NHK大河『真田丸』に関連する場所があったのですが、更に山の上だし、行っても果たして簡単に見つかるか不安じゃったので、辞めて正解でした。

帰って来たら、流石にヘロヘロでした・・・・・。


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