蓮池城 - 蓮池氏から長宗我部氏まで約430年幾多もの興亡を繰り返す

蓮池城(土佐市蓮池)

[ 高知県土佐市蓮池  ]


土佐市蓮池の土佐市消防署の西隣りに、標高が約44m程の小高い丘陵があり城山公園になっちょりますが、此処が蓮池城跡ながです。

蓮池城(土佐市蓮池)

平氏・平重家の家臣・近藤家綱が蓮池の地に居城を構え蓮池氏を名乗ったことに始まり、嘉応2年(1170)に築城したとされちょります。

蓮池権守家綱というのは、当ブログでも何度か御紹介しちょります、同じ平家方の平田俊遠と源頼朝の弟・源希義を討った人物です。

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蓮池城(土佐市蓮池)

蓮池城の興亡

ここに城が定められたのは、嘉応2年(1170)平家の家人近藤家綱(蓮池権頭)が、平家荘園の守護として居城したのに始まり、その後、源頼朝の討手によって滅ぼされた。
建久3年(1192)藤原国信が居城して大平氏を名乗り、広大な勢力圏を形成し、文化面でもすぐれた活躍をした。
天文15年(1546)幡多一条氏が東征し、大平氏を滅ぼし、一条氏の番城となったが、弘治3年(1557)には本山氏が一条氏を撃退して城を奪った。
永禄3年(1560)長宗我部氏と本山氏の争いが起り、これを機に一条氏が城を奪回した。
永禄12年(1569)弘岡城主吉良親貞が一条氏を追い、その子親実が城主となったが、長宗我部盛親の継嗣問題で元親の逆鱗に触れ、親実は自刃し、こうして400年余、戦国武将が興亡を繰り返してきた蓮池城の歴史は、幕を閉じた。

【 参考・引用 】  説明板より 


蓮池城(土佐市蓮池)

蓮池権頭の後、近藤国平の子孫が大平氏を名乗り、蓮池城周辺を治めたのは約350年間。

蓮池城(土佐市蓮池)

しかし、その大平氏も天文15年(1546)には一条氏に降ったがです。

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蓮池城(土佐市蓮池)

弘治3年(1557)本山軍は仁淀川を渡り蓮池城を奪うがですが、永禄3年(1560年)一条氏は、本山茂辰と長宗我部元親との争いの隙に蓮池城を取り戻すがです。

蓮池城(土佐市蓮池)

そして、永禄12年(1569年)長宗我部元親は、弟の吉良城主・吉良親貞に命じ蓮池城を奪い、一条氏を追い吉良氏の居城となるがです。

しかし約430年程の歴史を秘めた蓮池城も、長宗我部氏の改易後、新たな国主となった山内一豊入国の頃(1600年頃)に廃城となったと言う。

蓮池城(土佐市蓮池)

詰段には「土佐市史跡 蓮池城跡」の碑が建っちょります。

蓮池城(土佐市蓮池)

城八幡が祀られちょります。



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