日讃和尚 - 大坂夏の陣に大阪城で真田幸村と和議交渉したと伝わる

日讃和尚(高知市比島)

[ 高知県高知市比島町2丁目  ]


場所は、以前御紹介しちょります、土佐西国三十三観音霊場第4番にもなっちょります比島の龍乗院さん。

龍乗院 - 土佐西国三十三観音霊場第4番 2016-09-11

ここに、日讃和尚が眠っちょります。

この日讃和尚、NHK大河「真田丸」にはキャスティングは無いと思うけんど、大いに関連する和尚さんながでしす。

日讃和尚の生年は不詳。
謂は永厳といい、常陸国(現・茨城県)喜多郡柿岡村に生まれる。
比叡山で天台宗の奥義を究めた。
天正18年(1590)遠江掛川で山内一豊に取り立られ護持僧となる。
慶長5年(1600)山内康豊(山内一豊の弟)について土佐に来て、潮江村(現・高知市)に龍乗院を開いた。
慶長11年(1606)江戸城改築の時には地鎮僧を務めた。
元和元年(1615)大坂夏の陣には和議の僧として比叡山から派遣されて大阪城に赴き、真田幸村と対談した。
寛永8年(1631)11月16日没。
墓碑には100余歳と銘記、『皆山集』には164歳とある。
龍乗院は寛文11年(1671)江ノ比島に移り、日讃の墓もここに改葬された。

【 参考・引用 】  『新版 高知県人名事典』 高知新聞社


亡くなった年齢が、『皆山集』にある164歳はちょっと疑わしいけんど、墓碑に刻まれた100余歳とすると、大坂夏の陣に真田幸村と対面したのは80歳以上の高齢じゃった事になります。

開山龍乗院権大僧都法印永厳大和尚 百餘歳
寛永八年辛未之歳霜月六日卯之刻




【 これまでに御紹介しちょります土佐の「真田丸」に、直接・間接的に関連する人々です。 】

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