浦戸稲荷神社地震碑 - 安政南海トラフ地震津波を後世に注意喚起

浦戸稲荷神社地震碑(高知市浦戸町)

[ 高知県高知市浦戸町・稲荷神社境内 ]


以前御紹介しちょります、高知市浦戸町にある稲荷神社の境内の鳥居をくぐってた右奥(道路側)に、朱文字で「文政九年丙戌年八月」銘の入った笠木や實の無い壊れた鳥居の石柱が建っちょります。

「文政九年(1826)丙戌年八月」銘は、元・鳥居が奉納された年度です。

稲荷神社 - 長宗我部元親が勧請し祀ったと伝わる浦戸の産土神 2015-03-02

その、元・鳥居の石柱の裏面には、朱文字で下記のように刻まれちょります。

浦戸稲荷神社地震碑(高知市浦戸町)

安政元寅十一月五日大地志(震)津浪
後卋(世)人大地志(震)有時津浪入と心
得へし 大黒屋嘉七良 建之


安政地震で倒壊した鳥居を大黒屋嘉七郎なる人が譲り受け、その石柱に碑文が刻みこまれちょります。

碑文には、「安政元年(1854)11月5日に大地震と津波が起こった。後世の人よ、大地震が起こると大津波が襲って来ると言う事を、心得て起きなさい。」と言うような意味合いの注意喚起が、書き残しされちょるがです。

地震が発生したのは、浦賀にペりー率いる黒船が襲来した年の、安政元年(1854)11月5日16時半頃、紀伊半島から四国沖を震源とする、フィリピン海プレートがユーラシアプレート下に沈み込む南海トラフ沿いで起きた海溝型の巨大地震じゃったと考えられちょります。

この時の津波では、土佐だけじゃなく太平洋沿岸の多くの地域に渡り、甚大な被害をもたらしちょります。

『浦戸港沿岸震浪記』 海面ヨリ高キコト凡ソ二十尺ナリ


日本では、明治時代に1尺=約30.3cm(曲尺(かねじゃくの場合)と定義されちょりますが、『浦戸港沿岸震浪記』の記録では、約6m程の津波が浦戸港沿岸(湾内)いに押し寄せた事になります。


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