鎌田堰跡 - 仁淀川右岸高岡地方の新田開発のために野中兼山が造る

鎌田堰跡(いの町鎌田)

[ 高知県吾川郡いの町鎌田  ]


列車で仁淀川鉄橋を西に渡った時、仁淀川右岸の堤防の上に何やら石碑のような物が目に入ったので、後日、その場所に行って見るとやはり石碑じゃったがです。

周囲は背丈の高い雑草が生え、石碑も文字が読めなかったがですが、後で調べてみたら野中兼山の造った「鎌田堰跡」の碑じゃったがです。

どうやら、写真は碑の裏側で、表に「堰地」と刻まれちょるようです。

現在、堰跡を忍ばせるものはこの石碑のみで何も残っちゃーしませんが、仁淀川右岸の土讃線の鉄橋の下に取水口があったそうです。

野中兼山が、承応3年(1654)に仁淀川右岸の高岡地方の新田開発のために鎌田堰の築造に着工し、明暦元(1665)に完成しちょり、長さ545(300間)、18.1m(10間)、高さ12.7m(7間)に及び、ここを通過する舟筏で賑わい「鎌田堰の筏越し」として名高かったそうです。

堰から取り入れた水は、現在も土佐市内を鎌田井水として流れちょりますが、井水が完成するのは更に約20年もようしたそうです。

鎌田堰は、昭和17年(1942)年に約300年の役目を終え、堰跡は昭和41(1966)に史跡に指定されちょります。

因みに、対岸のちょっと下流には、現・高知市春野方面に水を取り入れるために造った、八田堰の碑もあるがです。

野中兼山の偉業の一つ - 八田堰 2009-09-22


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