野々宮神社 - 『東鑑(吾妻鏡)』にも記録がある野々宮の森に鎮座

野々宮神社(香南市野市町)

[ 高知県香南市野市町西野  ]


香南市役所から北に約1Kmの通称・東上野に鎮座しちょります。

野神社(のかみしゃ)と八幡宮が合祭され、野宮とも野宮八幡ともいう旧村社のお宮さんながです。

野々宮神社(香南市野市町)

野々宮神社

御祭神 野槌神
合祭 八幡宮二社(応神天皇・神功皇后) および野神社二社

「由緒」
  
中世の野市の町は野々宮の森よりはじまる。
今此森に鎮座するのが野々宮神社である。
東に山獄空を凌ぎ南は大海原でありそしてその間に野市平野がありその西は物部の清流混々として流れまことに清浄の極みである。

寛永年中、野市村の開墾竣工し、始めて村落となるや総鎮守とした里人は遺林の古松を社となし細々と祭りをしていたが、正保三年(1646)野市の郷士原源五衛門重成が再興して社を建て崇敬した。
至誠が神に通じたか為か子孫繁栄・家運隆盛した。

ここは昔寿永元年(1182)九月二十五日頼朝の弟希義が平家方の蓮池家綱らの攻撃を受けこれを援助すべく夜須七郎行家が野々宮の森まで兵を進めたが希義の討死を聞いて引き返した記録があり、これにより当時すでに野々宮の森の存在が証明される。

祭神は野山の神であり、山野の草木の主宰神染色の祖神である。
又伝えるところによれば料理の神という。

誠心をもって野々宮神社を拝めば報はること必逐なり。

【 参考・引用 】  野々宮神社の由緒書より


野市開拓の時、元・長宗我部家の家臣じゃった原源五衛門重成と二男・重尚が再興に関わり、正保3年(1646)に完成し、以後、子孫が守って来たそうです。

野々宮神社(香南市野市町)

元禄14年(1701)に桂井素庵が書いた『野宮再興記』が石碑に彫られちょります。

桂井素菴 - 文化・文政期以前は才谷屋と並ぶ金持ちで儒学者 2013-01-24

これも余談じゃけんど、元禄14年(1701)ちゅうたら、『忠臣蔵』で有名な江戸城内・松の廊下で起こった赤穂藩藩主・浅野長矩が吉良義央に刃傷に及んだ年です。

野々宮神社(香南市野市町)

町指定史跡 野々宮の森

源平時代、寿永元年(1182)平家方の追ってをのがれた源希義救援のため、夜須城主・夜須七郎行家がこの野々宮の森まで出陣したと「東鑑」にある著名の地。

【 参考・引用 】  史跡説明板より


ここは、当ブログでも何度か取り上げちょります源頼朝の弟・源希義(みなもと の まれよし)に関わりのある場所の一つながでして、『東鑑』とは『吾妻鏡』とも言う鎌倉幕府の初代将軍・源頼朝から第6代将軍・宗尊親王までの歴史書ながです。

その『東鑑(吾妻鏡)』の寿永元年(1182)九月二十五日の条に「件一族等馳向之処、於野宮辺、聞希義被誅之由、空以帰去」とある事から、ここが、その野々宮と比定されちょるがです。

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野々宮神社(香南市野市町)

と言う訳で、源希義に関わると地として「野々宮の森」が町の史跡になっちょりますが、今じゃちょっ森とは言い難い状態になっちょります。

因みに写真は平成23年 (2011)に撮影したものですが、トップの写真の鳥居左脇の樹齢200年以上という御神木の杉(高さ約20m、幹回り3.2m)は、平成26年(2014)年8月10日に県内に上陸した台風11号の影響で倒壊しちょります。


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