清岡道之助旧邸 - 野根山二十三志士の首領として決起

清岡道之助旧邸(田野町)

[ 高知県安芸郡田野町  ]


奈半利川左岸、田野町の北に広がる大野台地と呼ばれる段丘の東端に、文久3年(1863)の八月十八日の政変後、山内容堂は土佐勤王党への弾圧を行い、武市瑞山や土佐勤王党の主要メンバーが投獄されるがですが、武市瑞山の釈放と藩政改革を訴えて決起した野根山二十三士の首領・清岡道之助邸があるがです。

清岡道之助旧邸(田野町)

清岡道之助成章は武市瑞山の土佐勤王党に参加、元治元年(1864)瑞山の釈放と藩論の統一を求める嘆願書を藩庁に提出して野根山に屯集したが藩兵に包囲され阿波で捕らえられ一回の裁きもなく同年九月五日奈半利川原で処刑された。
時に齢三十二。
妻は浜口雄幸首相の叔母にあたる。

【 参考・引用 】  門脇の標柱より


土佐勤王党に参加とあるけんど、「血盟同志ではありません」き。

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清岡道之助旧邸(田野町)

清岡道之助は天保4年(1833)に、安芸郡田野村(現・田野町)の、郷士・清岡春勝の長男として生まれちょります。

人となり気宇闊達(心が大きく、小さな物事にこだわらないさま。)にして慷慨憂憤(正義にはずれた事などを、激しくいきどおり嘆くこと。)の志厚く、精悍で容易に人が近付きにくい一面もあったという。

しかし、一度親しくなったら情義(人とつきあう上での人情や誠意。)は厚かったそうです。

清岡道之助旧邸(田野町)

少年時代、高松順蔵(坂本龍馬の姉千鶴の夫)に就いて経史を学び、のち高知城下へ出て、陽明学者・岡本寧浦に師事した。

江戸に出て佐藤一斉から陽明学を学び、軍学者・若山勿堂(壮吉)の下で洋式兵学を学んでいる。

文久年間に入ると勤王思想にも影響を受け、藩命で大坂に赴任したことを契機に志士として活動を開始、文久2年(1862)に京で武市瑞山と会い、尊王攘夷に奔走していくがです。

清岡道之助旧邸(田野町)

文久3年(1863年)の八月十八日の政変以後、前藩主山内容堂により勤王党の大弾圧が行われ、武市はじめ土佐勤王党の主要メンバーは軒並み投獄された。
勤王派志士らは武市の救出による体制の立て直しを企図し、各地で指導的立場に立つ者が高知城下に集結して、その方法を協議することとなった。
安芸郡の指導者であった清岡は、同志が一体となって藩庁に武市の解放を迫り、遠隔地の安芸・幡多二郡の志士は決起して威勢を示し、藩が要求を容れない場合は実力で獄舎を開放して、一同で長州に脱走するべきと主張した。
しかし大石弥太郎ら多数派は、清岡の主張を過激すぎ、また武市は救出しても長州には行かないだろうと考えて同調しなかった。

元治元年(1864年)6月、大石らは藩庁に対し正面から嘆願書を提出するが、要求は受け入れられなかった。
同年7月26日、清岡と配下・門弟併せて23名(「野根山二十三士」)は野根山街道の岩佐番所に武装して屯集し、武市の解放と藩政改革を訴えた。
岩佐番所は土佐三関の一つに数えられる要害の地であり、かつ番頭・木下嘉久次は同志であった。
目的が達せられない場合は国境を越え、海路にて京坂に向かい、禁門の変直後の京都において国事に尽力する計画であった。

野根山屯集の知らせは高知城下を大いに震撼させた。藩庁はこの行動を反乱とみなして強硬策を採ることとし、大監察・小笠原唯八率いる藩兵を派遣して鎮圧に向かった。これに対し清岡らは戦火を交えることなく阿波国へ逃れるが、海路での逃走には失敗し、阿波藩によって藩庁に引き渡された。
再び野根山を超え9月3日に田野奉行所に収容され、2日後の9月5日、一切の取り調べもなされぬまま、奈半利川河原にて全員が斬首された。清岡の首は高知へ送られ鏡川河畔で三日間晒されたが、彼の妻は、遺体の首を繋ぎ合わせて葬ったという。

長州で清岡らの殉難の報に接した中岡慎太郎は、この事件を受けて「涙をかかへて沈黙すべし。外に策なし」と土佐の同志に対し自重を呼びかける手紙を送っている。

【 参考・引用 】  清岡道之助 - Wikipedia



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清岡道之助旧邸(田野町)

清岡道之助旧邸は、昭和48年に田野町に寄贈され、昭和43年に田野町の文化財に指定されちょります。

清岡道之助旧邸(田野町)

【 参考・引用 】  『高知県人名事典』 高知新聞社




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