佐川越中守 - 戸波城恵良沼の戦いで主家・津野元実らと討ち死に

佐川越中守(佐川町)

[ 高知県高岡郡佐川町甲  ]


佐川駅の北東にある松尾八幡宮のちょっと東側の民家の玄関脇に、数基の無銘の五輪塔が並んじょりますが、これが佐川越中守のお墓ながです。

佐川越中守の墓

中世室町期に佐川町東西部を領していた津野氏の一族佐川越中守の墓といわれる。
氏は松尾城を守備して越知黒岩郷の片岡氏に対し新福寺を中心にして寺領を守り、土居屋敷政所、弓道場等をかまえて高北の前進基地としていた。
永正十四年(1517)津野氏の戸波城攻めに参加して戦死、遺骸を由緒あるこの地に葬ったものである。
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佐川町教育委員会

【 参考・引用 】  説明板より抜粋


佐川越中守(佐川町)

説明板にもあるように佐川氏は津野氏の一族で系図によると、寛仁年間(1017-1021)に津野氏2代目の津野重高の四男・繁国が初代・佐川越中守と称して、北津野庄を中心に勢力を拡大していったようですが、その後の土佐南北朝時代にゃ北津野庄を治める勢力図も変わり、天授3年(1377)になって大平氏系の佐川四郎左衛門が亡くなった後に、再び津野氏一族が佐川氏を名乗り松尾山に居城を造り、その後何代目なのかは判らんけんど、1500年頃に再び佐川越中守になったのが、このお墓の主のようです。

松尾城址 - 長宗我部元親重臣・久武内蔵助が居城 2013-01-28

永正14年(1517)津野元実は、一条氏の家臣・福井玄蕃が守る戸波城を攻めた際、佐川越中守も津野軍に加わり戦うがですが、戸波城は難攻不落で攻め倦み、さらに一条軍の援軍が来た事で津野勢は敗走し、戸波城の西北部にあった底なし沼・恵良沼に追い込まれ、兵は次々と沼の藻屑となり、津野元実、佐川越中守は討ち死にしたそうながです。

戸波城跡 - 一条氏家臣・福井玄蕃が城代 2016-03-02

討ち死した佐川越中守の遺骸は、菩提寺に埋葬しされたとの事ながです。

因みに、津野軍が敗れると、一条氏の配下・安並城主の安並弥三や出間城主の出間九郎兵衛らが津野本領へ軍を進めるけんど、津野氏の中平兵庫助によって逆に全滅させられるがです。

中平兵庫助元忠 - 土佐七守護・津野氏の分家で土佐・中平氏の始祖 2014-11-17
松ヶ瀬古戦場 - 津野軍・中平元忠と一條氏の安並・出間軍の激戦地 2015-06-08

【 参考・引用 】  『土佐太平記』 明神健太郎・著(昭和48年)




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