森助太郎為政 - 土佐勤王党に158番目に加盟

森助太郎為政(香南市)

[ 高知県香南市野市町新宮 ]


森新太郎は、文政12年(1829)年、香美郡富家村新宮(現・香南市)の郷士・森喜右衛門の長男として生まれ、名は為政、初め助太郎と言う。

文武を好み、竹村東野、岡本寧浦らに学んじょります。

竹村東野墓 - 塾生に中岡慎太郎・大石圓・宮地宜蔵ら・・・ 2010-08-05
岡本寧浦 - 私塾を開き多くの志士たちにも影響を与える 2011-08-30

嘉永6年(1853)ペリーが率いる黒船4隻が浦賀沖に現れた事で、海防が叫ばれるようになると、海防小頭として活躍したようです。

土佐勤王党には158番目の血盟同志に加わり、武市瑞山を助け、一藩勤王に尽力しちょります。

文久2年(1862)藩主・山内豊範に従って上京し、同年10月には三条実美勅使の東下に当たり、姉小路公知の中小姓となって護衛の任を果たしちょります。

三条実美墓 - 七卿落ちの一人 2012-02-13

文久3年(1863年)の八月十八日の政変を気に起こった、土佐勤王党への弾圧以後も屈せず、慶応3年(1867)に入り、中岡慎太郎、板垣退助らと気脈を通じて更に討幕運動を展開した。

板垣退助墓 - 、初代・乾正信から続く墓所に眠る 2011-10-09

戊辰の役に従軍し、二本松の戦いで負傷しちょります。

維新後士官となったが、やがて郷里に帰り、明治7年(1874)征韓論に敗れ下野した板垣退助を中心にした政治結社・立志社が出来ると、大石円や池知退蔵らと嶺南社を興し、明治11年(1878)長岡郡長となるが、まもなく辞し、明治13年(1880)には香美郡立田に香長学舎を建設し教育にも尽力した。

大石弥太郎 - 武市瑞山らの赦免を同志と共に藩庁に歎願するも叶わず 2016-07-13

明治42年、81歳で満てちょります。

【 参考・引用 】   『高知県人名事典』 高知新聞社 (平成11年) 


森助太郎為政(香南市)

.墓碑には、田中光顕・書、土方久元・撰と刻まれちょります。

田中光顕墓 - 中岡慎太郎亡き後の陸援隊を率いた一人 2010-11-24
土方久元邸跡 - 土佐勤王党に21番目に血盟 2013-09-09
坂本龍馬彰勲碑 - 桂浜で坂本龍馬像と共に観て欲しい石碑 2010-11-18

森助太郎為政(香南市)
一族の墓所


[ 注意! ]
■ 墓探しで山に入る場合 は、季節によっては、マムシ(ハミ)・ヤマダニ・ヤマヒル・イノシシ・ハチ等に気を付けて下さい。
■ 特に3~12月頃の暖かい時期に山や藪に入る場合、マムシ(ハミ)には御注意の事!
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